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梶山正「京都大原で暮らす」|第十四話 象が鯖を担いで大原を歩いた?

小浜から十五里歩いてちょっと疲れた象さんは、大原で一休みしたに違いない

若狭と京都を結ぶ「鯖街道」

僕が暮らす大原は鯖街道沿線の町のひとつである。

近年、若狭と京都を結ぶ道は鯖街道と呼ばれるようになった。国道沿いに名物の鯖寿司の店が多いので、その名が付いたのだろうか?

行政や観光などに関わる人々が、村おこしの願いを込めて、その名を広めたのだろうとも想像される。

古くより朝鮮半島から日本に伝わった大陸文化、また海産物や他の地域から船で運ばれた食材などは、まず玄関口である若狭湾に面した小浜に上陸した後、奈良や京都の都へ運ばれた。

十八里あると言われる小浜と京都の間には、標高600〜800mの丹波高地の山々が林立する。それら文化や食材は人や馬に担がれて、山々を越えて伝えられた。

本文にある若狭街道の7本の街道。昭文社、山と高原地図「京都北山」より転載。ちなみにこの文の著者は、その地図の著者でもある。

小浜を中心とした若狭湾の町と京都を南北に繋ぐ主な街道は7本ある。つまり、鯖街道はひとつではなく7本あるということになる。

東から西に向かって順番に、敦賀街道、鞍馬街道、雲ヶ畑街道、小浜街道、高浜街道、舞鶴街道。

それらを総称して若狭街道と言い(「北山の峠」金久昌業著・ナカニシヤ出版より。街道名は統一されていない。「北山の峠」に従った)、1500年の歴史があるそうだ。

7本の若狭街道を横に繋ぐ枝道や、近くの山村を横に結ぶ道もたくさん丹波高地の山中を走っている。その中には現在舗装された車道もあるが、歩かなければ通れない昔のままの山道も多い。

数年前、著者が小浜から鯖を担いで越えた根来坂峠

鯖を担ぎ鯖街道を歩く

数年前、友人と鯖街道を歩き通そうと挑戦したことがある。

まずは早朝に小浜の魚屋で鯖を買い、その場で腹を抜いて塩をふり、リュックに詰めて歩き始めた。

鯖街道では鯖だけが運ばれたわけではないが、確かに鯖の数は多かったようだ。若狭から運ばれた鯖が、京の都へ着く頃には丁度いい塩加減になるそうだ。

僕たちもそれに習い、1日で歩き切った後に鯖寿司を作って食べるつもりだった。京都では祭りなどハレの日に必ず食べるごちそうなのだ。

鯖街道から京都では、ハレの日に必ず登場する鯖寿司

奈良東大寺二月堂の「お水取り」で汲み上げられる香水は、小浜の神宮寺で「お水送り」されて、10日かけて地中を渡ったものである。

はるか昔からの若狭と奈良の繋がりを想った。

やがて根来坂の山道を越えて、朽木小入谷に下る。次に標高900m近い経ヶ岳の山越えをしたが、久多の山村に下ったところで日暮れとなってしまった。

さらに7時間ほど歩けば大原へ辿り着けるだろう…。ところが、「うまい鯖寿司をごちそうする」と車を持つ友人に電話して、迎えに来てもらった。

「昔の人ってムチャクチャ健脚やったんやなあ」と山歩き敗退の言い訳をしながらも、翌朝、初挑戦で作った鯖寿司は最高の味だった。

木地山峠は根来坂峠の隣。若狭越えの峠には、お地蔵様が祀られているところが多い

象が鯖を担いで大原を歩いたかもしれない

敦賀街道が通る古い山村の大原。もしかしたら、大昔、ここで象が歩いたことがあるかもしれない。

「何を寝ぼけたことを言うのですか?」と思われることだろう。

室町時代初期、日本で初めて象が京の都へ献上された。ほんとうの話である。象は大陸から小浜に船で運ばれて来た。

若狭街道の中で、当時最も歩きやすかったのが敦賀街道だと思われる。だから大原を象が歩いたかもしれないと想像するのだ。

象は力持ちなので、一度にたくさん鯖を背負えたはずだ。とはいえ、象が日本の十八里の山道を歩くことを気の毒に思い、別ルートを考えたかもしれない。

小浜から熊川宿を経て、琵琶湖の今津より船に乗せるのだ。そして大津から陸路を歩いて山科を経て御所へ。

でも、象が乗れるような船が当時、琵琶湖にあっただろうか?

そんなことを考えているとじつに楽しい。







筆者 梶山正プロフィール

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かじやま・ただし

1959年生まれ。京都大原在住の写真家、フォトライター。妻はイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミス。主に山岳や自然に関する記事を雑誌や書籍に発表している。著書に「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物(家の光協会)」山と高原地図「京都北山」など。山岳雑誌「岳人」に好評連載中。

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