石見銀山 群言堂

第九話 目黒区生まれの虫嫌い娘がどうなったか|南阿蘇の水に呼ばれて 植原正太郎

2年前、この村に移住してきたのは僕ら夫婦だけではなく、当時2歳の娘も一緒だった。

目黒区生まれ、目黒区育ちのシティガールだった彼女。移住前から公園で遊ぶことは大好きだったが、とある日を境に「虫」が嫌いになってしまった。

公園で遊んでいる最中、なぜか自分の靴に虫が入ってしまったと勘違いし、地面を歩くことが怖くなり、抱っこじゃないと移動できなくなった。翌日までこの強迫観念に囚われていた。

「都会で育てると虫嫌いになるというのは、こういうことなのか?」と親としても少し心配になるくらいの虫への恐怖心の芽生えだった。

しかしながら、田舎に移住すると「虫が嫌い」なんて言ってる暇はない。そこらじゅうで虫が飛んだり跳ねたりしており、家の中にだって許可なく多種多様な虫が侵入してくる。

移住したての頃の娘は、まだ虫嫌いを引きずっていたのだが、次第に虫そのものに興味を示すようになり、虫図鑑を読むようになり、しまいには自ら捕まえに行くようになった。

カマキリが腕を登っても大丈夫。しかしこのあと頭まで登ってきて阿鼻叫喚。

東京大学の研究で「なぜ現代人には虫嫌いが多いのか?」という内容のものがある。虫嫌いの人が増えているのは世界的な兆候だそうで、都市化の進む現代社会のひとつの結果のようだ。13,000人を対象とした研究調査の結果、虫嫌いになってしまうのは「虫を見る場所が室内に移った」「虫の種類を区別できなくなった」ことが原因だと突き止めた。

研究では虫嫌いを減らすためには「嫌悪の少ない屋外で虫をみる機会をつくる」「虫の知識が増え、種類を区別できるようになる」という提案をしている。

移住してから2年間の娘の変化を見ていると、この研究内容にはとても納得感がある。そこら中に虫がいる田舎に暮らして日常的に触れていたら、虫が好きになっていたのだ。

先日は、一緒につかまえたトンボを虫かごに入れていたのだが、親が勝手に逃したのを知り、ギャン泣きしていた。

生き物を見つけては捕まえることを生きがいにするようになった。左アマガエル、右サワガニ。

娘は虫嫌いを克服しただけではなく、生き物全般にとても興味を持つようになった。家の裏に流れる小川でサワガニを捕ったり、田んぼのおたまじゃくしを捕まえて水槽に入れたり。

釣り堀で釣ったヤマメを鷲掴みにして「可愛い・・・」とつぶやいているのを目にしたときには、あの公園の事件からだいぶ遠いところに来たなと、親としても感慨深くなった。

都会の暮らしと田舎の暮らし。様々な環境の違いはあれど「生き物」との距離が変わることで、感覚や価値観への影響はそれなりにあるように思う。

それが将来的にどういうことにつながるのか確かではないが、少なくとも「人間だけがこの地球にいるわけではない」ということを分かった上で、大人になるのではないだろうか。

誰もいない草千里ヶ浜を駆ける娘。

僕は子供の頃にこんな田舎に暮らしたことはないが、父親が週末になると森、川、海に連れ出してくれていた。転勤族だったので、全国各地の自然に触れた経験は、いまも記憶に残っている。青森の草原でオニヤンマを追い回したこと。広島の渓流でオヤニラミを捕まえて家の水槽で飼ってみたこと。

聞いてみれば、東京育ちの僕の父親も、子供の頃には群馬の田舎のばあちゃん家でよく野遊びをしていたそうだ。「自然に遊んでもらう」ということは、親から子に引き継がれていくものなのかもしれない。

何でも口に入れる癖のあった弟。土も食べる。

ちなみに、田舎生まれ田舎育ちの弟は、虫や生き物への恐怖心がまったくないどころか、1歳になる頃にはカマキリを鷲掴みにして頭から食べようとしていた。彼もまたどう育つのか、親として楽しみである。


筆者プロフィール

植原 正太郎

うえはら・しょうたろう

1988年4月仙台生まれ。いかしあう社会のつくり方を発信するWEBマガジン「greenz.jp」を運営するNPOグリーンズで共同代表として健やかな経営と事業づくりに励んでます。2021年5月に家族で熊本県南阿蘇村に移住。暇さえあれば釣りがしたい二児の父。

WEBマガジン「greenz.jp」

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