石見銀山 群言堂

第九話 びわ湖とともに|オザキマサキさんの根のある暮らし

皆さんは、びわ湖を代表する伝統食「鮒(ふな)ずし」をご存じでしょうか?

実はよく口にする現代のお寿司は、元をたどると鮒ずしにルーツがあるのです。

びわ湖でとれるニゴロブナと塩とお米。この材料をにつめ、あとは自然にまかせて置いておくだけでできる不思議な食品。

その秘密は、どこにでもいる自然の乳酸菌が、作業過程で勝手にの中に入ってくれて、乳酸発酵してくれるから。

チーズを思わせる独特な酸味の鮒ずしと、よく冷えた日本酒の組み合わせは、なんともいえず美味。僕の好物のひとつです。

魚治の鮒ずし

高島市マキノ町海津には、天明4年(1784年)から代々鮒ずしをつくり続けている「魚治(うおじ)」があります。

ここに鮒ずしをつくる蔵と店舗、そして料亭「湖里庵(こりあん)」があります。

2018年の台風21号の被害によって、湖畔沿いに建つ湖里庵が全壊してしまいました。

台風直後の様子(提供:左嵜氏)

当時、店主の左嵜謙祐(さざきけんすけ)さんは、地鳴りとともに次々と電柱が倒れていく中、家の中央に靴をはいて一家で集まっていました。

ひょっとして死ぬかも……と、命の危険を感じたといいます。

なんとかやり過ごし、湖里庵の様子を見に外へでると、道の真ん中に座敷のテーブルが。

湖里庵の玄関ドアや、壁はなく、瓦礫だらけの階段をのぼり、二階へいくと、屋根はなく青空が見えた。

あまりのショックに、景色がモノクロに見えたといいます。

その後友人の力を借りて瓦礫を撤去し、二週間ほどした頃、左嵜さんから「写真を撮っておいてほしい」と連絡がありました。

そこで僕は、少しだけ落着きを取り戻したある日の夕方、湖里庵にいきました。

靴のまま二階へあがると、そこにはいつもの穏やかで、美しいびわ湖が広がっていました。

二人でしばらく眺め「綺麗やな~」と言いながら、僕は湖里庵の二階から、びわ湖を写真に収めました。

湖里庵の二階から

それから約3年後の2021年9月、僕は再び左嵜さんとともに、新しくなった湖里庵の二階へ。

3年前と同じ場所に立つと、そこには相も変わらず穏やかで美しいびわ湖がありました。

「今日も綺麗やね~」と僕が言うと、

「あの台風のことを思い返すと苦しいけど、日常は綺麗じゃないですか。ぼくらはこの景色に助けられてますし、この景色を借りて商売もさせてもらってます。

365日助けてもらってるのに、何年かに一度のあれを受け入れないと、この景色を使うのは失礼じゃないかなと。

身をもってそれを感じられたのがあの台風なので、台風の前よりも、ここに住む覚悟は、今のほうがあるかもしれないなぁ」と左嵜さん。

そして「おそらく昔の人は、自分たちの弱さをわかったうえで住んでいた。だから自然に合わせて生きていた。

その覚悟ができたときに、僕らが自然からもらえるものって、すごくあるような気がして……」と話してくれました。

湖里庵の二階から

「これからのことは?」と聞いてみると、「これから……どうするんですかねぇ(笑)」と意外な答えがかえってきました。

以前の彼ならスラスラと将来の計画が出てくるところなのに。

「今は自分がこうしたいああしたいというよりも、有難いことにお客さんが来てくれて、目の前のそれをしている喜びの方が大きくて。

前はほんまにここにいるだけで成り立つんやろか?と、ここの力を信じきれてなかったけど、びわ湖の美しい景色と魚があるから、本当に美味しいものを出し続けていたら、人を呼べると思うんです。

そのためには僕が“ここにいること”なんかなって気がしていて、あの台風のおかげでそれに気づけたと思うんです」と話してくれました。

びわ湖と佐嵜さん

台風で店が全壊したにも関わらず、それによってびわ湖の本当の力を知ることになった左嵜さん。

「ここにいる」という覚悟は、とても自然体で、目の前の穏やかな湖面に近いものを感じました。

「幸せですよね、そう思える場所と役割を与えてもらえてて」という彼のつくる鮒ずしを味わいに、ぜひ湖里庵を訪れてみてください。



筆者プロフィール

オザキ マサキ

1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com

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