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第六話 夏まつりをもう一度|オザキマサキさんの根のある暮らし

暑い夏、火照った体を冷やしてくれるのが川遊びだとしたら、さらにアツくするのが夏まつりです。

目の前で打ち上げられる迫力ある花火、立派な櫓(やぐら)で演奏される生音頭の盆踊り、ずらりと立ち並ぶ色鮮やかな夜店、しょうゆの焦げた匂い……。僕の暮らす高島市朽木の夏まつりは、京都や大阪からも人が訪れるほど、夏の風物詩として人気がありました。

しかし今から約8年前、様々な理由で夏まつりはなくなり、各集落での開催という、小規模な形に戻ることになりました。

にぎやかだった夏祭り

しかし集落の夏まつりは、集会所の広場に立派な櫓(やぐら)はたつものの、音頭の伝承はすでに途絶え、だれも生演奏ができず、パラパラと人が踊っている程度となりました。

また夜店もなく、あれほど賑やかだった夏まつりが、一転して寂しいものになってしまったのです。

おこづかいを握りしめて、夜店をめぐるワクワク感や、大人も子どもも今日はハレの日という、おまつり独特の雰囲気が大好きだった僕は、急に彩りを失ってしまった夏まつりにショックを受けていました。

同時に集落の子どもたちが、あのワクワクする気持ちを味わえずに、子ども時代を過ごすのかと思うと、何ともいえない気持ちになっていました。

ある時、村でよく一緒に飲む同年代の友人二人に、そのことを話すと、二人とも全く同じように思っていることがわかりました。「よし!じゃあ」と、その三人で何か面白いことをして、まつりを盛り上げていこうや!という話になったのです。

書いてくれた看板を手にねり歩く姉妹

最初の年は、一人1万円ずつ出し合った計3万円で、子どもたちがおこづかいで楽しめる夜店を開くことにしました。

子どもたちがおこづかいで楽しめる夜店ということは、おこづかいの中で何回か楽しめないといけません。とはいえ、原価を無視してふるまうのがいいのかというと、それも何か違うような気がする……。

話し合った結果、できるだけ価格は安く設定するが、出資した元手は真剣に回収を目指す。リーダーは地元で理髪店を営むシンヤで。という方針で、スタートすることにしました。

男子はとにかく射的一択

少ない元手でアイテムをそろえ、さらに楽しんでもらうには、工夫&手作りしかありません(笑)。

まず取り組んだのは夏の定番、カキ氷。よくある手動のカキ氷機を数台買ってきて、氷はコツコツと自作し、子どもたちが自分で好きなだけ氷をすりおろし、シロップをかけられるセルフカキ氷屋さんを準備しました。

それから男子に絶大な人気を誇る射的は、的を手づくりし、目玉の景品としてカブトムシやクワガタを、夜な夜な捕まえにいきました。

そして迎えた夏まつり当日、数アイテムの売り物しかないにもかかわらず、集落の子どもたちは目を輝かせて楽しんでくれました。

またそれだけではなく「来年は僕も手伝わせて下さい!」と、言ってくれる集落の若者まであらわれました。

翌年以降は、自発的に仲間に加わってくれる若者が増え始め、バリエーションにとんだ夜店が並ぶようになり、他の集落の子どもたちも訪れる、ちょっとした人気の夏まつりになっていったのです。

小さな集落にたくさんの人が

そして回を重ねた現在も、みんなでお金を出し合って、その中で工夫して運営するスタイルはそのままで、継続するには、むしろこれが良かったんだと思うのです。

そしてもうひとつ重要だったのが、リーダーの存在。運営メンバーは増えつづけ、今では男女あわせて30人ほどに。シンヤのリーダーシップがなければ、メンバーをひとつにまとめるのは、難しかったと思います。

子どもたちに楽しい思い出をつくってあげたい、という気持ちで始めた手づくりの夏まつりですが、ふとひとつの思いが浮かんできます。

それは、あの鮮やかで楽しいおまつりの思い出は、当時の大人たちが、今の僕たちと同じような思いでつくってくれたものなんだなと。

今の子どもたちも大人になったとき、またその子どもたちに楽しい思い出をつくってあげたいと、自然に夏まつりがつながっていくといいなあと。

昨年も今年も、コロナで夏まつりができず、なんとも歯がゆい気持ちで過ごしながら、そんなことをぼんやりと思っています。



筆者プロフィール

オザキ マサキ

1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com

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