石見銀山 群言堂

第四話 焚火狂想夜話|木方彩乃さんの根のある暮らし

焚火に魅せられた夜のことを、私は憶えている。

小学生くらいだったと思う。何処かのキャンプ場。終わりかけの熾火がまるで星のように瞬いて、足元で息づいていた。

頭上にも満天の星が煌めいていて、あ、宇宙に浮いてるみたい!そう思った時の「ふわっ」とした温かい熱が、今でもおなかの中で光っているのだ。

焚火熱が再燃したのは、大学時代。人里離れた山奥にあり、行くも帰るも難儀だったので、私はよくキャンパスに寝泊まりした。

U 字溝をマイカマドと称して、食パンを炙ったり、レトルトカレーを温めたり。「火で部」なるものを結成して、廃材を燃やしたり花火を打ちあったりして遊んだ。

古畳30 枚を処分するため、トランプタワーのように立てかけて炎上させた時は、灼熱地獄とはこんな有様かと恍惚し た。OB にお借りしたジッポを落とし、燻った灰の中を探しまわったあげく土下座した。本当に馬鹿な生活をしながら、ずっと優等生ぶっていた自分が、ふつふつと生き返っていくのを感じた。

社会人になると、焚火のできる場所がなくて困った。知り合いの植木屋さんの森まで、2時間かけて遊びに行く。その人はアーティストでもあり、土の塊を火で焼きあげるのだが、その制作現場がまた凄まじかった。

巨大な作品を覆うように、枝葉がついた丸木をドカドカと投げ込んでいく。炎が渦巻き、赤も黄も青もとおりすぎて、真っ白というか光そのものになるのだ。近寄るだけで肌が焼けるように痛く、恐怖を覚えるほどだった。

そんな隠れタキビスタンが流れ着いたのが、北軽井沢である。

入社して2回目の秋。キャンプ場で焚火祭り「アサマ狼煙(のろし)」を開催することになった。長い丸太を横倒しに 重ねて火を点け、燃えるダイニングテーブルにするという! WEBページを作るにも、初めての試みなので写真がない。 仕方なく、何枚も絵を描いた。

アサマ狼煙のイメージ

翌年にはもう、イメージ画を超える世界が実現した。お客さんが焚火道具を持ち込んで、思い思いに遊びはじめたのだ。まるで時代劇の合戦場のように、あちこちから狼煙が上がる様は圧巻で、幻想的なまでに美しかった。

実際のアサマ狼煙

アサマ狼煙TOP

祭りにあわせ、芋掘炬燵(いもほりこたつ)を作って良いとのお許しがでたので、私は喜び勇んだ。芋掘炬燵とは、焼き芋を食べるための空間である。埼玉の森に掘った穴(第一話参照)は、すでに埋めていた。それをもう一度再現すること、そこで生まれる物語を見ることが、私の転職の目的でもあった。

初日は雨だった。辿り着く人もまばらな、森の奥。なんとか焼けた芋は、半分焦げている。それでも土のソファに座ったお客さんが、楽しそうに長居してくれるのが嬉しかった。

芋掘炬燵

穴の中で私は、たくさんの人に出会った。たくさんの子どもたちが、焚火に魅せられた瞬間に遭遇した。

人生で初めてマッチをする男の子。せっせと木枝や葉っぱを運んでくる兄弟や、夢中で息を吹きかける姉妹。煙まみれで笑い転げたり、何時間も黙って見つめていたり。憑かれたように火と戯れる姿に、私はひとり、ほくそ笑んだ。

いつの日か、彼らがこの時を思い出すだろう。何処であったとか誰がいたかなんてことは、何一つ残らなくていい。ただ心の奥底にメラメラと、消えない炎が灯ってしまったこと に、ずっと経ってから気がつくのだろう。

火と遊ぶ子どもたち


筆者プロフィール

木方 彩乃

きほう・あやの

1978年 埼玉生まれ。多摩美術大学・環境デザイン科卒。在学中から食物を食べる空間「食宇空間(くうくうかん)」の制作をはじめる。2015年より群馬県北軽井沢にある「有限会社きたもっく」に勤務。山間の小さな会社だが、日本一と称されるキャンプ場スウィートグラスを営んでいる。山を起点とした循環型事業を展開。

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