石見銀山 群言堂

東日本大震災に想うこと

大森町内にある「無邪く庵」での語らい

長年、展示会の度にダイレクトメールにはその折々の出来事や想いを書いてきた。
ある時はちょっとシリアスに、またある時はユーモラスに、
時には書くことに行き詰まったこともあったが、
書くことのネタ捜しも楽しみの一つだった。

しかし、今回ほど気が重く、筆が進まないことはなかった。
今、どうしても避けて通れない話題、それは地震・津波そして原発問題。
どんなに重くてもこのことに触れない訳にはゆかない。
お花見など自粛ムードの高まった頃、「自粛はすべきだが萎縮してはいけない」と
自分に言い聞かせていた私だったが、今の私はいまひとつ覇気がない。
それはたぶん自分の無力さを痛感しているから、
そして自然の異変、天変地異に対して人間がいかに無力であるか、
小さい存在であるか思い知らされたからだろう。

あるニュース番組で地震と津波による災害を天災と言い、
原発による災害を人災ではなく文明災と言っているのを聞いた。
「文明災」初めて聞く言葉である。
文明災害、それは正に人類が作り出した災害であろう。
人類は自らが作り出した巨大化した文明社会の中で、快楽と恐怖を経験することとなった。

文明と言えば平成五年、近所に古民家を手に入れた。
この家を改修する際、大吉っあんは「いっそ、一切の文明を排除した家にしよう」と言った。
大吉っあんの発想はいつも禅問答のように不可解である。
お客様をおもてなしするために買い求めた家はただでさえこの町一番の質素な家だというのに、
さらに文明の無い家にしようと言う。

和蝋燭の灯りといろりの火だけのこの家で、
これほどの文明の発展を我々は望んでいたのだろうか。
経済が文明の進歩を意味なく加速させているのではないだろうか。
文明の発展と引き替えに大切な何かを無くしてはいないだろうか。
など、文明に頼りすぎ、便利ばかりを追求してきたことを自問自答することとなった。
この文明を排除した家は群言堂と名付けられた。

そこから生まれた「群言堂」だけに、今、果たすべき役割があるように思えてならない。

登美

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