石見銀山 群言堂

ボロの美

「ボロの美」という本に出会った。
刺し子のような針目で、チクチクと一針一針不揃いだけど、丁寧に刺した酒袋。
掛継ぎだらけの子供の着物。無数の布を継ぎ接ぎした布団。
そのボロの中に錦にも優る美しさを見た。
それらの手作業には、作為的なものは全く感じられない。
たまたま、隣り合わせになった布も、配色があうかあわないかを越えている。
使 われているうち、仲良くなったに違いない。

もったいない、モノを大切にの精神だけで作られたその仕事には、無垢の美しさがある。
いつの頃から、継ぎ接ぎという作業をなくしてしまったのだろう。
私の 子供の頃は、くつ下に穴があくと繕ってはいていたものだ。
大量生産に、大量消費という構造の中で、
私たちはモノがいっぱい溢れているのに豊かさを感じることができなくなってしまった。
「ボロの美」が、何かを訴えているように思えてならない。

まさか、本物のボロで商品を作るわけにはいかない。
「ボロの美」の中からイメージした美しさを、私なりに表現してみたいと思った。
本当に、イメージ通りのものができるのか心配であったが、現場の方たちにイメージを投げかけてみた。
最低六柄以上の柄を入れたい-継ぎの部分は直線でなくてゆがめて-
部分的に裂織りのイメージを入れて-と数々の難題をもちかけた。
ありがたいことに、こんな面倒な仕事に産地の方々は熱意を持って取り組んで下ださった。
後に、産地の現場が久々に湧き上がったと聞いた。
まさに、繊維業界のプロジェクトXであ る。

現代は、簡単にものをつくれる時代である。
しかし、今回の仕事を通じて学んだことは、仕事にかけた思いの熱さ、
手間隙かけた時間の重さを、モノは語るとも なく語っているということだ。
そして、モノを大切にするということは、人をも大切にするということにつながるということも-。


登美

2004・冬展示会案内状より 2004. 7月21日

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