石見銀山 群言堂

06 河内の両面ニット【大阪府】 | 暮らしの布図鑑

ウールのぬくもりとシルクのしなやかなツヤが出会い、まるで肌の上で溶けるような贅沢な風合いに。

かつて江戸時代に「河内木綿」の産地として栄えた大阪・河内地方。その歴史を汲むまち松原市で、2009年に地域資源と認定されたニット技術があります。それが、日本に10台もない「両面選針機」という特殊編機を使ってつくられる両面ニットです。群言堂が追い求める、有機的で、時に型破りな表現。それらがかたちになる現場に、お邪魔してみました。

日本に10台もない特殊編機のうち5台が、ここに?

大阪の南の玄関口、天王寺から南に下ること約11km。ここは、創業70年超の歴史を持つ東亜ニット株式会社さん。3代目社長の熊谷大輔さんに案内されて工場内に足を踏み入れると、巨大な円形の機械がずらりと並んでいます。

巨大な円形の機械が並んだ工場。なんだか宇宙船の内部にいるような気分です。

熊谷さん
「両面選針機っていう日本に10台もないと言われている編機のうち、6台がうちにあります。あいにく1台が壊れて、今動いているのは5台になってしまいましたが……。」

両面選針機のそばに近寄ってみると、回転する機械の円周に沿って極細の鉤針がびっしりと並び、コンピュータ制御によってまるでダンスを踊るように動いています。垂直運動をする針が表地を、水平運動をする針が裏地を編んで、両面違う柄を同時に編み進めることができるのがこの機械の特徴。さらに「目移し」という技を使うことで、両面編みの中に部分的にシングル編み(一重編み)構造を取り入れることができる凄腕の編機です。

熊谷さん
「機械の1回転で編み進められるのは1cmほどなので、一反(30m)が完成するのに約6時間はかかりますね。複雑な編み方を取り入れたものは10時間以上かかることもあります」

現在、東亜ニットさんでは所有機械のすべてがこの「両面選針機」。そのことだけを見ても、マニアックに振り切ったものづくりへの意思が伝わってきます。また同じ機械といえども、製造時期や個体差によって持ち味やクセが違うといい、熊谷さんは1台ごとに「太郎」「次郎」「三郎」「四郎」「五郎」「玉ちゃん」という名前をつけて、それぞれの個性に合った作業を割り振っています。

機械任せにできない目配り・心配りが、ものづくりを左右する

とはいえ東亜ニットさんの真髄は、決して機械力だけではありません。

熊谷さん
「たしかに両面選針機はハイクラスな編機ですが、これがあればなんでもできるってわけじゃありません。前工程と後工程が大事なんですよ」

前工程とは、編機にかける前の「糸くり」。染工所から上がってきた先染め糸のすべりをよくするため、ワックスをつけながら糸巻きに巻き直します。糸のすべりが悪いと、ただでさえ複雑な動きをする極細の鉤針が、糸を取りこぼしてしまうのです。染工所でもワックスをつけた上で糸を納品してくれるのですが、そこに再度ワックスを重ねづけするという念の入れようです。

染め上がった糸にワックスをつけて巻き直す「糸くり」の工程。

こうやって万全の準備を整えた糸を編機にかけますが、ここでもスイッチひとつで機械まかせというわけにはいかず、職人が機械の動作に細かく目を光らせて見守ります。そして後工程で重要なのが、検品と補修。編み地が複雑になればなるほど出てしまう目落ちを検品で見つけ出し、専任スタッフがかけはぎの技を使って跡形もなく修復するのです。

丁寧な検品で、小さな目落ちや編みキズも見逃さず、補修スタッフにバトンタッチ。

3代目社長の熊谷さん(左)と、長年補修を手がけてきたベテランスタッフさん。

熊谷さん
「うちがこんな機械を使ってむずかしい生地づくりができるのは、彼女たちがいてくれるおかげです。普通なら難易度が高いからやめておこうって企画倒れになりそうなものも、彼女たちがいるから形にできているんです。私を入れて社員が11名いる中で、4名が補修担当ってちょっとすごいでしょう」

群言堂が2023年秋冬にお願いした「ぼろの美」モチーフのウールシルクは、とくに扱いのむずかしいデリケートな素材。素朴で不揃いな刺し子調の線や、微妙にニュアンスの異なるさまざまな色や柄のランダムな配置といった表現技法が繊細なだけではありません。シルクという素材はちょっとしたことで引きつれや編みキズを生じやすいのです。

熊谷さん
「シルクは、人の手のかすかなささくれに引っかかってキズになってしまうこともあるので、この生地を手がける時は、編み場も検品も補修も、関わるスタッフは全員白手袋をして作業するんです。」

その気配りと、細かな手仕事に思わずため息が漏れます。

生地を傷つけないよう白手袋をはめて、細かい補修作業を行います。

「よそができないことをやる」その思いを受け継いで

そんな東亜ニットさんの創業は戦後の復興期。当初は朝鮮戦争の軍需に応える形で、衣類下着や麻袋などを生産していましたが、その後低迷期を迎えた時に発案した「筒編み腹巻き」が大ヒット。ゴム糸を編み込んだフィット感の高い腹巻きは、それまでなかったものだけに飛ぶように売れたといいます。その技術を見込まれて、妊婦用のストレッチ腹帯を手がけたこともありました。

熊谷さん
「ただヒット商品はあっという間に真似されて過当競争になり、価格が落ちていくんですよね。親父に代替わりしてからは、よそに真似されるのはこりごりだというので、とにかくちょっと変わった機械、手のかかる機械ばかりを買うようになったんです」

ひと手間かけて柄を表現するものや、ゲージが細かく編み効率の悪いもの。そんな機械から生み出される生地は、高級ゴルフシャツやブランドもののパジャマといった、新たな販路を広げていきました。そして27歳になった熊谷さんが家業に戻る頃からは「自分たちで企画デザインや糸選びから手がけて、生地提案をできるようになろう」という姿勢が明確になっていきます。「両面選針機」を導入したのも、まさにこの時期でした。

熊谷さん
「こんなに高価でむずかしくて効率が悪い機械、普通のところではまず買わないですよ(笑)。最初は使いこなすのもむずかしくて、生地が編みキズだらけになったり、針が糸を取りこぼして編みかけの生地が機械から落ちてしまったりの連続で、泣きたい思いでした。でも日本でもまだ先行事例がなくて、とにかく自分たちでつまづきながら勉強していくしかなかったですね」

心あるものづくりを未来につないでいくために

工場の2階には、「両面選針機」を導入してから手がけた生地見本約20年分のストックが。色と柄を巡る冒険の足あとに、圧倒されます。

その後、生地にこだわるアパレル企業とのつながりも増え、プロのデザイナーとのやり取りを重ねながらニットの企画デザイン力を高めていった東亜ニットさん。しかし、両面選針機を最初に導入してから約25年が経つうちに、洋服の世界もずいぶん様変わりしました。現在、国内で販売されている洋服のうち国内縫製のものは2%程度。服地から国内生産されているものは1%もないと言われています。

熊谷さん
「こういう糸の、どんな番手を使って、こういう風合いで……とお話ししながら一から一緒にものづくりをできる会社さんは、残念ながらずいぶん減りました。その点、群言堂さんは布への思いが本当にしっかりとおありなので、こちらもそれに応えなくては、という緊張感はかなりありますよ」

前述のウールシルク「ぼろの美」の開発期間も、高騰を続けるシルクを使うことを心配した熊谷さんが、「同じ番手のエジプト綿を使っては?」と提案。一度は群言堂社内で再検討したものの「やはりシルクで」という決断に至った、という経緯があります。

「でも、できあがった生地を見たら、やっぱり全然違いますね。このなんともいえない光沢は、シルクならではだと思います」

そう言って目を細める熊谷さんの表情に、ものづくりやニットへの愛情を感じずにはいられません。

今は、若い世代への技術継承をはかりながら、独自のものづくりを未来につないでいこうとしている東亜ニットさん。そのこだわりの詰まったニットは、手に取るたび心を豊かに満たしてくれることでしょう。

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