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第一話 石巻・蛤浜で暮らす|亀山貴一さんの根のある暮らし

 

3世帯7人。宮城県の東の先端、石巻市牡鹿半島にある蛤浜は小さな漁村である。

私はここで、はまぐり堂というカフェを経営しながら季節ごとの魚介を獲る小漁師をして妻と2人で暮らしている。

約8年半前、この今にも消えそうな集落を残していきたいと「蛤浜再生プロジェクト」を立ち上げ、仲間と共に様々な取り組みをしてきた。
仲間もお金も経験もないところから、ただただやらねばと必死になってやってきた。

前職をやめ、カフェをオープンする時に、何の知識もない私は勉強のためどこか目標になる場所を探していた。

そのとき、仲間の1人に写真家の藤井保さんの娘さんがいて、そのご縁で他郷阿部家を訪れたのが松場大吉さん、登美さんとの出会いだ。
大変失礼なことにその時は全くお二人のことも群言堂のことも知らなかった。
ただ衝撃だったのは阿部家の玄関に一歩入った瞬間の凛とした空気感と、古いものと新しいものが調和しているセンス、そしてあたたかな人柄と強い信念だ。

お二人は経営者として右も左も分からない私に、今でも自分の指針となっている言葉を教えてくださった。
これまで色々な人にプロジェクトの話を相談しても否定的な意見がほとんどであった。
しかし登美さんは「“心想事成”−心に強く思い続けていることは必ず実現することができるわよ」と強く背中を押してくださった。
はるか遠い目標ではあるが、正に自分の理想とする姿に出会えたことで力強く一歩を踏み出すことができた。
こうしてご縁をいただけたことに深く感謝したい。

ここでプロジェクトを立ち上げるまでの経緯について少し話そうと思う。

蛤浜は入り組んだリアス式の地形で周囲をぐるりと山に囲まれ、目の前には牡蠣の養殖棚が浮かぶ太平洋が広がっている。
手で積み上げられた10mほどの石垣の上に漁師だった曽祖父が建てた築約100年の古い家がある。
私はこの家で生まれ育ち、一旦は離れたものの、就職して再びここに戻り、9年半前まで住んでいた。
その頃は9世帯25人程が住んでいて、少ないながらも皆家族のように助け合うあたたかな暮らしがそこにあった。
普段は静かなところだが、半島では数少ない砂浜があり、夏になると多くの海水浴客が訪れ賑わった。

私は水産高校の教師となり仕事も充実していて、週末になれば家族や友人とよく釣りやBBQをして楽しんだ。
結婚して妻もここの暮らしを気に入り、もうすぐ子どもも生まれる予定だった。
まさに子供の頃から思い描いていた理想の暮らしだった。

2011年3月11日、まさか夢にも思わないことが起こる。
東日本大震災である。
震度7、10mを越える大津波によって理想の暮らしは一瞬で流されてしまった。

私は一晩を学校で過ごし戻ってみると無残にも瓦礫の山が広がっていた。
残ったのは高台に残った4軒の建物と集会所のみだった。
自宅は残った家の一つだったが、いるはずの妻の姿はそこになく、3週間後に遺体安置所で再会した。

本来であれば、避難した住民と一緒に再建を目指したかったが、この状態ではここに住み続ける気力はなく、2度と戻ることはないだろうと浜を後にした。


筆者プロフィール

亀山 貴一

かめやま・たかかず

石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。

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