石見銀山 群言堂

第六話 浜の結〜ヒジキ刈り編〜|亀山貴一さんの根のある暮らし

春、お祭りが近づく頃、潮汐表と天気予報を見ながら日程を決める。浜の人総出の一大イベント「ヒジキ刈り」だ。

それぞれ仕事もあるため、全員のスケジュールを調整しながらやるのは中々大変な作業だ。震災前は磯当番という人がいてこの役割を担う。震災後は人も少なくなり、区長がやることに。

私は2年前から区長をやっているので(当時37歳最年少)毎年この時期になるとソワソワする。

今年はヒジキの成長が遅く1回目のタイミングではやらず、次の潮時が良い2週間後にやることにした。

暖かくなってくるとヒジキも伸びるが、天候も変わりやすくなってくる。案の定、決めていた日は時化たため、2日程延期し、波の様子を見ながら当日に決定。なんとか皆タイミングも合い船を出した。

大潮のとき浜の人総出で

近所の人たちは60代、70代。年々「もう、歳で磯に行けなくなるねえ…」と弱気な発言が増えてきた。

我々、はまぐり堂チームが頑張らねば!と気合を入れて行くが、73歳の前区長さんは船から磯へジャンプ。70歳生まれも育ちも蛤浜のおばちゃんは一人陸路であっという間に見えなくなり……まだまだ心配いらないようです。

それぞれ鎌とバンジョ(漁業用のカゴ)を持って磯へ繰り出す。毎年、量が多いので今年は少なめにしようと話していたが、目の前にヒジキがあれば抑えきれない衝動。皆次々と刈り込む。私も本当は刈りたいけれど船を出しているので、回収係。

潮が引いている間の1時間半で約500kgを収穫。8人でやったので1人60kgくらいずつ。ふー、これで無事終了。

とはならないのがヒジキ刈り。ここからが本番だ。

刈り取ったヒジキは均等に山分け

ドラム缶に沢水を汲み、薪をくべながら3時間煮る。1回で約60kgを煮るが、量が多いのでこれを5回転!

磯に生えているときには黄褐色をしているヒジキはお湯に入れると緑色に。本当に大変なのはここから。皆さんが見慣れている黒いヒジキにするにはまだまだ時間がかかる。実はこの色の変化はドラム缶の鉄分と反応して起こるのだ。

今の大量生産するやり方ではステンレスの大鍋で煮るためそのままだと色が変わらず、鉄分もほとんどないヒジキになってしまう。そこで煮るときに鉄の塊やチェーンなどを入れて鉄分を補っているのである。昔ながらの製法でやっている浜のヒジキはそのままでも大丈夫。

ドラム缶に薪をくべ煮え具合をみながら

そんなこんなで火加減や上げるタイミングを近所のおばちゃんに教えてもらいながら、ヒジキが黒く柔らかくなるまでひたすら煮続ける。そうしてようやく取り出し、水で洗えば完成だ。

そこから一般に流通させるためにはさらに一日天日干しで乾燥させる作業があり、皆さんの食卓にそんなに存在感もなく佇んでいるヒジキにもこうしたストーリーがあるのである。

茹で上がったヒジキは黒色に

昔のヒジキ狩りは年に一回浜の人総出で行い、自家消費分だけでなく加工業者に売って浜の運営費に充てていたそうである。まさに浜を支える大事な海からの恵みだ。

今は人が少なくなってしまい、自家消費分で終わってしまうが、あげるととても喜ばれる。

小さい頃からここのヒジキばかり食べているので他がよくわからなかったけれど、どうやらこの辺りのヒジキは太くて柔らかいためとても美味しいそうだ。自家消費といっても到底食べきれる量ではないので皆、親戚や知り合いに配りまくる。

茹でたてを皆さんにおすそ分け

3日もかけてやるこの仕事は収入にはならないけれど、喜んでくれる人の笑顔やお互いを想い合う物々交換の豊かさを与えてくれる。そして何より昔ながらの住民が協力して助け合う文化が豊かなのかもしれない。

そう遠くない将来、今の形はできなくなるだろう。我々世代がなんとか違う形でも残していけるように考えていきたい。


筆者プロフィール

亀山 貴一

かめやま・たかかず

石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。

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