石見銀山 群言堂

滋賀麻さんの歴史【登美 × 滋賀県・滋賀麻工業株式会社】第1回

2018年 5月

ブランド「登美」の夏の定番、「もみほぐし麻」。

群言堂のテキスタイルデザイナーの折井が滋賀麻工業株式会社(以下、滋賀麻さん)の生地に惚れ込み、以来毎年作り続けているシリーズです。
ありがたいことに、毎年この時期になると、スタッフが長年愛用しているもみほぐし麻のブラウスやワンピースを「素敵ですね」と言ってくださるお客様がいらっしゃいます。

2018年春、群言堂スタッフは滋賀麻さんを訪問し、社長の山田清和さんと、父であり会長の山田清史さんにお話を伺いました。

手をかけてでも、着て楽しく、ワクワクできる服を作りたいー。

そんな滋賀麻さんと群言堂の想いがめいっぱい詰まったもみほぐし麻は、着続けるほど愛着の増す服です。あなたも着てお試しになりませんか。

群言堂公式サイトでは、滋賀麻さんの歴史や私たちとの関係、滋賀麻さんの生地を使い続ける理由に焦点を当てたお話を全3回に渡り連載します。
第1回目となる今回は、導入として「滋賀麻さんの歴史」についてご紹介させてください。

左から、社長の山田清和さん、会長の山田清史さん

終戦の1年前に創業しました

日本で最も大きな湖、琵琶湖。
その東岸にある滋賀県の〝湖東地域〟は高い湿度と水に恵まれ、古くは室町時代より麻織物の特産地。
清和さんの祖父・清吉さんは、終戦1年前の昭和19年にこの地で滋賀麻工業株式会社を設立しました。

優先的に原糸が配給される工場で兵隊の服やカバンを作って国におさめる、軍事品の指定工場としてのものづくりが出発点。
それから現在に至るまで「織り」を軸に営み続けてきたのです。

「麻」を大切に、時代の変化とともに

これまでの群言堂の生地が大切に保管されていました

農家の多い湖東地域は、11月から3月までは農閑期にあたります。そこで滋賀麻さんは、各家庭に機織り機を持っていき、内職をお願いしていました。

「当時は、みんなお着物やった。裾まである和服を仕立てるための生地を、内職として各家庭に手織りで織っていただきました。まあほんでね、雪が降ると農作業ができんので、作業の進みが早まった。自動車なんてないもんで、リヤカーに織った生地を積んでね。湖東地域は本当に機屋(はたや)さんが多かったんです。今は数えるほどしか残っていませんけれど、和装からはじまり、洋装に変わってきたという歴史があります」(会長)

当時の様子をお話くださる会長

オリジナルを提案する精神

2015年に、父・清史さんから社長のバトンを引き継いだ清和さん。
三代続く滋賀麻さんが大切にしているものづくりの指針は、〝前例を越えていく〟こと。

「つねに新しいオリジナルを提案していく。その積み重ねがうちの強みです。だから商品の8割は、スタッフが考えて作ったもの。続いてきたものづくりの精神を、絶対に引き継いでいかなあかん」(山田社長)

つづく連載第2回では、滋賀麻さんと群言堂の関係性についてお話します。

撮影と書いた人

タクロコマ(小松崎拓郎)
1991年生まれ、茨城県龍ヶ崎市出身の編集者/カメラマン。これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』編集部所属。

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