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第二話|吉田正純×松場登美 対談|三浦編集長【『雑貨展』号外】

21_21 DESIGN SIGHTでの展示『雑貨展』への登美さんの参加を記念して、広報誌「三浦編集長」の号外を作りました。

誌面にはすべて収録できなかった、展示什器を作った大森在住の彫刻家・吉田正純さんと登美さんによる対談を全文掲載します!


正純 昨夜お寺で久しぶりにテレビを見ていたら、大分でごまと朝どれの魚のミンチをブレンドして何でもいけるドレッシングを作ってる小さな町があったのよ。

そこで瓶詰めをしてるおばちゃんたちがいるんだけど、本当に何人かしかいなくて。

まあ普通よりちょっと高いかなくらいの値段で売ってるんだけど、あのおばちゃんたちが何を目指しているかというと「手間」なんだよね。

この値段でこの手間じゃ割に合わないとか、考えてないんだよね。とにかく味のレベルをこれ以下には下げちゃいけないっていう最低ラインをキープしているわけですよ。

だから今日は魚が少ししかとれなかったから一日にこれだけしかできなかった、今日は魚がいっぱいとれたからこれをいっぱい作ろうとかいう非常にゆるい、アバウトな感覚で常に作っている。

だけど、それはぶれない筋が一本通っているなって見ていて思ったんだよね。

吉田正純プロフィール
吉田正純(よしだ・しょうじゅん)
1954年 島根県飯石郡に生まれる
1983年 東京芸術大学大学院美術研究科修了
日本美術家連盟会員
二紀会会員
曹洞宗龍雲山万善寺住職
石見銀山工房むうあ
島根県現代彫刻振興委員会員
1993年より大森町在住

正純 俺もどちらかというと同じタイプだね。

暮らしには浮き沈みがあるから、暮らしが楽な時は素材のストックを大量買いしたり、「3年寝かすぞ」とか言って素材を育てたりするわけだけど、本当に金がない時は一万円の鉄板すら買えないからね。

そういうときはやっと納品一週間前に注文してギリギリでどうやって3年ものとどっこいくらいまで仕立てようかなんて考えるわけだよね。これには大きな差がありますよ。

仕事を受ける時も「あそこにあの素材があれだけあるな」と思って受けることもあれば「これだったら新しく買ったやつでいいな」と思って受けることもあったりするわけよ。

だからそうやってやりくりしながら俺は生活してるんだけど、やっぱりちゃんとした、基本の筋の通った路線がないと流されるよね、世間に。

そうするとお金が良いかどうかで仕事を決めることも結構あるんじゃないかと思う。

それがいいかどうかはその人の考え方の問題だから何とも言えないけど、最低限譲れないところっていうのはちゃんと用意しておかないとやっていくのは難しいかなという気がするね。

群言堂本社前の田んぼに作品を設置する吉田正純氏

正純 また六本木の話に戻るけど、俺が六本木を目指してものを作ることってまずないね。常に石見銀山だったり、万善寺の周辺だったりとかが、自分の原風景だから。

そういうものの中に自分の作るものを置いた時にそれがどう機能するかということをとにかく考えながらものを作ってる。

みんな「この厚みがもうちょっとこうなってた方がいいな」とか「ここは膨らんでた方がいいな」とか言うよ。

でもそれはその場所で見た時にそう思っているかもしれないし、そこの場所にあるものに関して言えばそれは正しいことかも知れないけど、「あなたはこの彫刻を石見銀山で見たことはないでしょ?」って常に俺は思っているわけ。

石見銀山に彫刻を置くときは冬しかないから、本当は一年間置きたいけど、冬のシーズンのある時からある時までこれがどういう風に変化していくかっていうことは東京では見えないことだよね。

去年、何年もかけてやっと、関東の石彫の作家の彫刻を二つ島根県に持って来たんですよ。

今近くの町に置いてあるんだけど、この間雪が降った時に写真を撮りに行ってみたら全然ダメだった(笑)。まったく絵にならない。

彼らは自分が作りたいものを作ってそれで終わりなのよ。たまたま晴れたり雨が降ったりとか環境の変化はあるかも知れないけど、雪が降ったらということまで考えてものを作ってないわけ。

自分の形あるものに自然の現象が加わることによってその形がどういう風に変化するかなんて彼らは考えて作ってないんだよ。

その時の写真を今度メールに添付して彼に送ろうと思ってるよ。賞を受賞したような作品なんだけど、どれだけお前の彫刻がダメなものかちゃんと自覚しなさいっていうメールを送ろうと思ってる(笑)。

自然の空間っていうのはそれだけ厳しいものですよ。そういう相手に対して自分の表現がどれだけ引くことができるかとか。

正純 環境彫刻がまさにそうですよ。

一時期流行った澄川喜一とか清水九兵衛とかの彫刻なんかを見ても、彫刻がいいとか悪いとかいうレベルとは違ったところで、そこにその彫刻があることによってどれだけそのものが環境の中で機能しているかっていうことを一歩踏み込んで見てみた時には、どうってことないものですよ。くだらないものですよあんなもの。

だから、建築にしてもとにかく立体的であるものは環境の中で常に地球レベルで機能しないと意味がない。それぐらい厳しいものですよ。

そのぐらい厳しい世界でものを考えて作っている人がどれだけいるかだよ。吉田が言っていることがすべてではないけど。

それが一番正しいことだよって決められてしまうとそれを基準として点数がついてしまう可能性があるからね。これは間違いなんだけど。

だからさっきの宗教の話と一緒ですよ。○○教があれば○○教もある。これがいいねと思う人もいればあっちがいいねと言ってやる人もいる。だから区別はできるけれども差別はできない。



登美 今回の展示は、正ちゃんが鉄は朽ちるから美しいって言ったみたいに、極力土に還るものというのが基準になってるかもしれないわね。

人間でもそうだけど、若い人がいれば私たちみたいに年を取った人もいて、誰しも年齢を重ねていくわけでしょ。

雑貨というくくりの中でそういう新しい古いのバラエティがあるんじゃないかと思う。

松場登美(まつば・とみ)
1949年 三重県に生まれる
1981年 夫のふるさと大森町に帰郷
1989年 雑貨ブランド「ブラハウス」を立ち上げ、
1998年 株式会社石見銀山生活文化研究所を設立、
「群言堂」を立ち上げ、商品の企画・製造販売を手がける。
2008年 築220年の武家屋敷を再生した宿「他郷阿部家」を始める
株式会社石見銀山生活文化研究所 代表取締役所長
株式会社他郷阿部家 代表取締役

正純 このものは10年は使ってほしいけど、後先考えてせいぜい8~12年くらいのところで更新してほしいなっていうのは目指さないといけないと思うのよ。

でも「このものは一回使ったら終わりで次々更新してほしいな」っていうものもそれなりに意味があるし、「このものは100年も200年も使ってほしいな」っていう意味をもって作らなきゃいけないものもある。



登美 正ちゃんいい例が御札だよ。御札は一年しかダメなんだから。あんなもの何年も使いまわしてる人はいないわよね。



正純 ものによって条件が決まってくると思う。これは誰が決めているという訳でもなくて、自分の気持ちの問題もあったり暮らしの環境もあったりとか、その素材の使用の限界もあると思うけど。

例えば30年前のエアコンを電源が入るからという理由で使ってる人がいるけどこれは本当に無駄遣いですよ。

やっぱりせいぜい5,6年くらいをスパンにして更新して行った方がいいよ。車だってそうだよね。

俺は昔の車好きだけど、リッター8㎞くらいしか走らない車に30年乗ってますっていうよりも、まあそういうステータスもあると思うけど、リッター30㎞くらい走る車に更新していった方が暮らしやすいわけでしょ?

だからその人のシステムとか暮らしの環境の中でいろいろ精査できるものがいっぱいあると思う。

雑貨展出展準備中の一枚

登美 機能で言うと今のようなことがあるかも知れないけど、私の作るファッションなんかはもし流行を追えばたった数年で着られなくなっちゃうんだよね。

だけど私の服は流行を追わないから10年でも20年でも着てくれている人がいて、同じ衣料であっても、全然耐用年数が違うよね。



正純 まさにそうです。俺なんかはそういう気持ちでものと付き合って、ものを使い倒してるわけ。

そこに自分の愛情があるから使い倒せるわけでしょ。

システマティックに更新していくとか、流行が過ぎたからとか、本当に個人の主観のレベルというか、かっこよく言うとその人は感性だって言っているかもしれないけど、そういうのはただの流行ですよ。

そういうようなものに流されているような人たちっていうのはやっぱり自分を持ってないよね。



登美 「木綿往生」という言葉があるけど、今は往生するまで使わないじゃないですか。

賞味期限が来たから捨てましょうとか、流行遅れだから捨てましょうとか、型が古いから捨てましょうとか、そういうのってすごく多いでしょ。

でもそれが間違っていたという時代に入ってきてるでしょ。私たちがやってきた古民家再生も、古民家再生ブームのような、ただ古民家が好きというだけでやっているわけじゃないんだよね。

阿部家で箸置きとして使っている金属製の犬(インドの作家作)も展示に出展した

正純 ブームを先駆けしているわけでもないし、ブームに乗っているわけでもないし、自然に「これは大切だね」と思っていることに世間が寄ったり寄らなかったり、つかず離れず、ふらふらと、ゆらりゆらりしているという程度のことよ。

だから登美さんにしても俺にしてもそれほど大きくはぶれてないはずですよ。

例えば30年前のことでも、今のことでも、そんなに人間が考えることはあんまり数あるわけじゃないから。

そんなに大きくは変わってないけど、少しずつ色んな蓄積の中で垢と埃にまみれることもあれば、時々それを綺麗に払い落としてきれいに磨くときもあるし、そんな感じで乗り切っているような気がするね。

なんていうか、ベースにあるものはそう大きくはぶれてない気がするね。



登美 最近読んだ本の中に「人間は肉体的なものと精神的なものがあって、もう一つ霊性がある」って書いてあったの。

それは魂のようなもので。私はものにもそういうものがあるような気がするのよね。家にもね。こういう暮らしをしていると、そんな気がしてくる。

だからそういうものが宿るようになるまで使っているかどうかっていうか。

みんな往生するまで使えばそういうものが宿るようになるのよねきっと。


<つづく>



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書き手:広報課 三浦

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