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第三話|吉田正純×松場登美 対談|三浦編集長【『雑貨展』号外】

21_21 DESIGN SIGHTでの展示『雑貨展』への登美さんの参加を記念して、広報誌「三浦編集長」の号外を作りました。

誌面にはすべて収録できなかった、展示什器を作った大森在住の彫刻家・吉田正純さんと登美さんによる対談全文掲載第三弾です!


正純 往生っていうのはね、あ、その前に登美さんも私も過ぎた「還暦」っていうのがあるんですよ。

昔の人たちは60歳をピークだと決めていたというか、いつの頃からか自然に還暦という考え方が出てきたんだよね。要するに60になったらまた0歳から始まるわけですよ。

それで61になったときが本当の意味での還暦なんだけど、とにかく1歳から始まる。だから自分の人生は60でもう終わりだと思った方がいいね。

60で終わりだと思って生き続けていったら、60を目指してやらなきゃいけないことをやってせっせせっせと生きていくと思う。

一生懸命生きていくのが60まで。61になったら、かっこよく死ぬ人生。俺はかっこよく死ぬぜと思って生きていく。

一回ぐるっと生きてそこからまた始まるわけだから、あと20年あるいは30年かけてどうやってかっこよく死のうかとか、ということをせっせと考えて生きていけば、めちゃくちゃかっこいいジジババが生まれ育つよ。

そこから生まれ育っていく。それで往生が来るわけ。往生っていうのは往復の「往」に生まれるの「生」と書くでしょ。これは、死んだ時が往生なんですよ。

私は坊主だからもう戒名をもらっているので、もうとっくに往生してしまって、死んだその日から仏さんになっているはずなんです。

吉田正純プロフィール
吉田正純(よしだ・しょうじゅん)
1954年 島根県飯石郡に生まれる
1983年 東京芸術大学大学院美術研究科修了
日本美術家連盟会員
二紀会会員
曹洞宗龍雲山万善寺住職
石見銀山工房むうあ
島根県現代彫刻振興委員会員
1993年より大森町在住

松場登美(まつば・とみ)
1949年 三重県に生まれる
1981年 夫のふるさと大森町に帰郷
1989年 雑貨ブランド「ブラハウス」を立ち上げ、
1998年 株式会社石見銀山生活文化研究所を設立、
「群言堂」を立ち上げ、商品の企画・製造販売を手がける。
2008年 築220年の武家屋敷を再生した宿「他郷阿部家」を始める
株式会社石見銀山生活文化研究所 代表取締役所長
株式会社他郷阿部家 代表取締役

正純 一回死んだらそれで次の世界に生まれ変わるわけだからね。生まれ変わるということは仏教だったら仏の世界に生まれ変わって、うちの宗派だと33年かかって仏さんになれる。

だから「33回忌ってとても大切なんですよ」って言ってんだけど、33年かかってやっと仏さんになれるってのはとっても大変な年数でしょ。

人間の生まれたときから33年を死んでからそっくりぽんと当てはめてみたらわかります。例えば一周忌とかがあって、「一年間本当によく生きてくれました」というお祝いだよね。

今度三回忌があるよね。やっと二年間。やっと歩けるようになって、ちょっとしゃべれるようになって自分の意思も段々見えてくるようになって、親や人に迷惑もかけたりしたけど二年間本当によくぞ生きてくれましたというお祝いだよね。

次は7年といえば幼稚園から小学校に入ってたりとか、13年っていったら中学校に入ったりとか、17年っていったら今度は卒業して社会人になってるかもしれないし次の学校目指してるかもしれないし…みんなぴたっと当てはまるでしょ。

23年っていったらそろそろ彼氏彼女もできたかもしれないし、学校も卒業するかもしれないし、社会に出てたらもうそれなりの地位になってるかもしれないし。

27年っていったら、もうそろそろ子どもの一人や二人いるかもしれないし。で33だよ。

そうしたらもう家一軒建って、当然自分の家族というか自分の暮らしみたいなものができてて当たり前みたいな、そういう歳が33年なのよ。じゃああなたはあなたで勝手にやって下さいと言って、やっとそこで手が離せる。

そこで先祖さんが仏さんになっていく、自分の家族が独り立ちしていくっていう。

群言堂石見銀山本店の中庭には、吉田正純の作品が鎮座する

正純 昔は子どもが小さいうちに死ぬことも多かったけど、今はそういうことはまずないよね。まずないから、上から順に年を取ってる人から死んでいくことが一番幸せなことになるわけですよ。

それを自死とかで狂わせてしまうっていうことはどれだけ大変なことなのかっていうことを自覚していけば、もっともっと自分を大切にできるし自分自身がそれで育っていくはずなんだけど、なかなかそういう風になっていかない。

皆がそう思ってれば一生懸命生きていけるはずなんだよね。だから俺はそれを自分の彫刻でさりげなくやりくりしているわけですよ。

今年も田んぼに彫刻を置いて、刻一刻と様変わりしている世界観みたいなものを自分の近所で視覚的に感じることができる。

そういう機会ができるだけ多く存在することによって、自分の今の状況を客観的に位置付けて見られることっていっぱいあるんだよね。

それを皆さんがもっとこなしていくようにしなきゃいけない。例えば石見銀山生活文化研究所が社屋前の田んぼをひたすらせっせと育てているっていうところにある。

米っていうのは一年間あって育つわけだ。米はどんなに頑張っても一年に一回しか作れないから、その通過点みたいなものをきちんと意識して見続けていってるから、ここに育ってる人とか暮らしている人が毎日毎日を意識しながら生活できているんだと思うよ。

(松場)大吉がああいうことにこだわっているのは、本人から聞いたことはないけど、多分そういうところが理由なんだろうなという気はするよね。

それが大切だと彼はなんとなく思ってるから、あの田んぼを手放したくなくて米を作り続けていくんじゃないかなっていう気はするけど。まあ私はどちらかというとあそこを展示スペースにしたいんだけど(笑)

群言堂本社前田んぼの田植え風景

登美 でも正ちゃんの作品があって、そこに田植えをして稲が育ってハデ干ししてっていうのも別にいいんじゃない?



正純 そこまでは言わないけど(笑)。

俺とか登美さん大吉さんっていうのは会ったのは20年くらい前で、たまたま出会った程度のことでそれまでの接点も何にもないんだけど、類友だと思ってんだよね。吉田としては。

類友といってもそれを育てるか甘んじて楽するかいろいろあると思うけど、同じ世界観の中でものを考えて、どこかに少しでも共通点があれば、お互いを育て合うというか、刺激をし合うことも必要だという気がするな。



登美 私はビジネスのためにものを作ってるんだけども、やっぱり正ちゃんの存在にはすごく影響を受けてますよ。

まず失礼な人でさ、うちの本店で鉄の彫刻展をするときに「この商品邪魔だからどけて」とか言うんだよ(笑)

でもそれで商品が山ほどあることがサービスではないしお客さんもそれを望んで来ているわけでもないということが分かってきて、あれから徐々に商品を減らしていったのよね(笑)

本当にその一言で商品が変わりましたよね。



正純 それが良かったかどうかはわからんけど、やっぱりその時の感覚っていうのがね。

今それを言えるかどうかはちょっとわからないけど、あの時だからそれが言えたと思うし、聞く耳もあったと思う。



登美 受け止める方もすごく新鮮な言葉だったよね。大抵のお客さんはたくさんものがある事を喜ぶし。

でも正ちゃんは全然違う視点からそういう話を持ってくるわけだからすごい刺激的で目の醒めるような思いだったよね。

昔の本店での展示のようす

正純 最近でこそこうやって会って話すのは年間5回もないけど…



登美 もう一生分くらいしゃべったからね(笑)

毎晩のようにこういう熱い議論をしていたというか、多い時は一日に2、3回会うくらいの時もあったよね。

常に刺激を与えてくれて、厳しい目で見てくれる相手がいるっていうのは大事よね。

いちいち「これ正ちゃんだったらどう言うかな?」なんて思うわけじゃないけど、大きい流れの中で常にそういう意識はあるよね。商売の仕方一つにしても。

彼は芸術家だし私たちは商売人だけども、そういう違いはあってもやっぱり意識している。



正純 どちらかというと吉田と大吉の方が緩やかな馴れ合いみたいなのがあるよ。俺は結構大吉には付き合ってるつもり。多分彼も吉田に付き合ってるつもり(笑)



登美 大吉は商売人というより感覚としては芸術家肌だと思うね。じゃなきゃあんな経営はできないですよ。そういう判断をするのを周りが支えていくのはもう並大抵ではない。

本当に儲かるか儲からないかっていうと必ず儲からない方で遠回りで、苦しい道を選ぶ人と一緒に仕事をしているっていうのは並大抵ではないよ。

冗談とかそういう軽い言葉では言えないよ。だってもう180人もいる社員が路頭に迷うかもしれないわけでしょ。

ましてや自分たちも子どもたちや孫にも何もしてあげることができないかもしれないわけですから、その瀬戸際でビジネスをしていくっていうことはものすごい厳しいんだよ。

正純 大吉なんかはそういう厳しいところで踏ん張ってる。

彼の限界のピークというか、限界点を超えたところで、それでも自分で何とかしたいって時にこっちに話を振られるよね。

あとはオーバーフロー分、こぼれた分をこっちでどうやって受けるかみたいな話は何回か過去にありますよ。最近はないけど。

それの次がちゃんと育ってるから彼は今に至ってるんじゃないかな。

やっぱり彼の限界っていうのは俺も見えるし、その次をきちんと押さえておけば、次にあの人がやりたいことがあれば比較的楽に乗り切れるだろうなという押さえどころみたいなものはちゃんとこっちが知っとかなきゃいけないなという気はしてる。

次に振られた時に。そういう付き合いはしてるつもり。私は商売をしてない人間だからそれが良いか悪いかは分からないけど。



登美 でも今回の雑貨展はビジネスじゃないから正ちゃんの作品で組んでみようと思ったんだろうね。これがビジネスだったら思いつかなかったかもしれない。

私の血の中にもものを作るとか表現するとかそういう血があって、いわゆる商売をするビジネスの血と両方流れてるんだよ体の中に。今はもう仕事上はビジネスだけしかないよね。

でも今回はものを売らなくてもいいという出展だから楽しいよねえ。どんな極楽だろうと。


<つづく>



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書き手:広報課 三浦

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