石見銀山 群言堂

第一話 旅の出会いと豊かな暮らし|岸田万穂さんの根のある暮らし

はじめまして。岸田万穂と申します。
兵庫県の丹波篠山市で築百年を越える古民家に暮らしながら本業の木工+αで地域に関わりながら楽しく暮らしています。

私が暮らしている丹波篠山は京都と大阪の県境に位置していて、交通の要衝として栄えた宿場町や城下町などの古い町並みが残る地域です。
四方を山に囲まれた篠山盆地は北に連なる多紀連山に源流をもち、丹波の語源にもなった「たにわ=田んぼの庭」の言葉通り、田んぼと黒豆畑が広がる非常に農業が盛んな土地でもあり、自然と人の暮らしが作り上げてきた風景がとても美しいまちです。

温暖な神奈川の住宅街で生まれ育った私にとってここでの日々は時にサバイバルのようで苦労もしましたが、それ以上に暮らすことの楽しさを知りました。
そんな私の等身大の暮らしぶり(時には奮闘)をお伝えしていけたらいいな、と思います。

さて、普通に街で生まれ育った私がなぜ群言堂さんと出会い、木工家になり、丹波篠山で暮らすようになったのか…初めは少しそのあたりに触れたいと思います。
私と群言堂さんとの出会いは7年前に遡ります。

当時私は大学生で、何者でもない無力な若者でした。
今もまだまだ未熟ですが、とても大きな無力感と不安の中で生きていたのをよく覚えています。

私が東京の大学に進学して一年後、東日本大震災が起こりました。
インフラが止まり、交通網が麻痺した時、それまで「お金さえあればなんとでもなる」と思っていた東京で「お金があっても死ぬかもしれない」のだと、実感した瞬間でした。

そしてもう1つ衝撃だったのが、より震源地に近い岩手県の内陸の田舎に住む先輩に安否を聞けば、インフラは止まってしまったけど食べ物は畑にあるし、集落の人で集まって炊き出しをし、崩れた道路も自分たちで直し始めているというのです。
(もちろん沿岸部の被害は大変なもので、その後ボランティアで現地入りもしましたが言葉にならず、津波という自然災害の脅威と、復興の複雑な面も知ることになるのですが…)

「豊かさ」とはなんなのか
私はこれからこの世界のどこで、どんな風に生きていきたいのか

毎年のように日本のどこかで起こる大規模な自然災害、そして今回のコロナでまた当時の私のように疑問や不安を覚えた方も多いのではないかな、と思います。

幸いにして当時学生の身であった私は時間だけはあるから、自分の足で歩き、見聞きして考えてみようと決めたのでした。
それからというものの、長期休みになれば旅をして回りました。アフリカ、東南アジア、インドの山岳地帯や農村部、インフラや交通網があまり整備されていないような場所で、人は自然とどのように向き合い、暮らしているのか。

結論から言えば、豊かさは1つの物差しで測れるものではないということが分かりました。私が少し頑張れば手に入れられるものをきっと手にすることができない人も存在しているという事実がある一方で、私や現代の日本人が持っていない豊かさもまたあること、どんなコミュニティにも比べようのない、とても豊かな文化や資源、関係性が存在するということを知りました。

全く時間通りに来ないバスを待つ間に、初対面同士手持ちの道具で始まる楽しい即席セッション

スコールが降れば喜んで村の子供たちと一緒に雨樋の下に並んで頭を洗う時間

水害で不作の時は山の恵を頂くのよ、と案内された山で芋や山菜を採取して蟻を潰して調味料にして食べたサラダ

なんてことはない暮らし、なんもない暮らしだと彼等は言うけれど、日々繰り返し積み重ねてきた彼等の知恵や暮らしは私にはとても逞しく、愛おしく、豊かで人間らしいように思えたのでした。
必要なものは身近な素材で工夫して作り、一人で大変なことはみんなで楽しんでやる。人間が生きる、ってこういうことだったのかなと。

今日本の暮らしで当たり前にある電気もガスも水道も、思えばつい最近の発明で、人間の歴史にとっては無かった時代の方が長いということ、それに伴う機械や設備、車も鉄道も飛行機も、しかり。
当たり前のことだけれど、そのことに実感として気づいた時、目から鱗が落ちたといいますか、じゃあ人間が人間らしく生きるために絶対に必要な、根源的な欠かせないものって何だろうって考えるようになりました。
今まで旅して見聞きしてきたどこにでも必ずあったもの、欠かせないもの。

暖をとり、獲物を捌き、作物を収穫し、道具を作る
宗教儀式や祭りに欠かせず、労働を助け、伝承や文化を作る

それは、刃物と音楽なんじゃないかな、と私は考えました。

彼等の暮らしにお邪魔すると自分は生かされているのであって、実は人間の生きる能力を大して使って生きていなかったことに気付かされたのでした。
ならば残りの人生、せめて刃物と何か一つの楽器くらいはちゃんと扱えるように頑張って生きてみようではないか、と思うようになりました。

そんな風に随分遠くまで旅をしてみたものの、振り返れば私が衝撃を受けた彼等の土地に根ざした人間らしい暮らしぶりは、日本にもあったものだと気づきます。
生まれた国で、その土地に根差し、私も暮らして生きていきたいけれど、どうしたらよいのだろうか…。

さて、前置きが随分長くなってしまいましたが、そんなことを考え日本の農山村も旅し始めた折に、たまたま一服しようと立ち寄ったお店、それこそが群言堂本店でした。
なんとなく外から見た雰囲気に惹かれて入ったのですが、中に入ってこれはすごいお店を知ってしまった、と鳥肌が立ったのを覚えています。
その時エントランスに並んでいたトークイベントのチラシと登美さんの著書「群言堂の根のある暮らし」を買って、青春18切符で神奈川の家に帰る鈍行列車の中で読み耽りました。
そして家に着く頃には一月後のイベントに行ってみよう、と出雲行きの夜行バスを予約したのでした。

 


筆者プロフィール

岸田 万穂

きしだ・まほ

1991年神奈川県生まれ。大学では間伐サークルと旅と長唄に明け暮れる。卒業後岐阜県立森林文化アカデミーに進学し木工を専攻。家具作りを学ぶため宇納正幸氏に師事。丹波篠山市地域おこし協力隊として3年間放置竹林の問題、廃校活用のNPO法人立ち上げに取り組む。現在は木工とNPO法人の理事と二足の草鞋。

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