石見銀山 群言堂

辻村さんのこだわりは「藍のカセ染め」と「多様な織り」【登美 × 静岡県浜松市・辻村染織】第3回

静岡県浜松市の染織の工場「辻村さん」の生地が魅力的な理由は、大きく2つあります。

1本1本が表情を持つような、繊細な藍のカセ染め

1つ目は、生地を染める「後染め」ではなく、カセ糸と呼ばれる糸の束で染める「カセ染め」にこだわっていること。

辻村さんの染めの仕事は、毎日朝7時頃から始まります。染めの現場には8種の瓶(かめ)があり、それぞれ藍の濃淡が異なります。

中に入っているのは、水と藍の染料。もっとも藍色が薄い瓶から順に糸を浸し、硬く絞って乾かします。

藍は、ほんの1分ほど空気にさらすだけで、酸化により色が固定されるのだそう。そうしたらまた次の濃さの藍の瓶に糸を浸し、硬く絞ってまた乾かす……。 この作業を、目指す藍の色になるまで、職人が朝から淡々と静かに続けていくのです。

辻村さんの染め場の様子

取材には、数名の群言堂店舗スタッフが同行した

私たちは聞きました。「一番最初から、濃い色の瓶に入れたらだめなのですか……?」と。すると辻村さんは笑って答えました。「そう思うよねぇ。けど、いきなり濃くは染まらないんだ。薄い色から順に染め上げないと、きれいな色になってくれない」と。

辻村さんの藍の糸は、一本一本に表情があるような、奥行きのある美しい発色です。それは熟練した職人が、生き物である藍に毎日向き合い、その日の温度や湿度、染める糸の細さや量に合わせて、微妙に作業を調整しながら、藍の色を追求しているから。その作業は、想像する以上に難しく、またかなりの力仕事です。

工場では、辻村兄弟と家族のほかに、信頼を置く職人さん数人が働いている

飽くなき探究心と「楽しむ心」が織りなす、オリジナルの藍の生地

辻村さんの生地がほかと違って魅力的な理由の2つ目は、織りを担当する兄啓介さんの、設計に対する探究心にあります。

辻村さんの工場内で染めた藍の糸。その糸を用いて織られる生地は、まるでこれが1色の藍から生み出されているとは思えないほど、柄や手触りが多種多様です。

織りの担当は兄啓介さん。一言で藍といっても、辻村さんの藍は濃淡、糸の細さや太さなど、たくさんの種類がある

彼はとにかく仕事が楽しいそうで、頭の中で「今度はどんな生地が作れるかな?」と空想する時間が大好き。一番嬉しい瞬間は、試行錯誤して設計した生地が、想像を超えたよい生地に織り上がった時だといいます。

取材時の風景

対して弟は、そんな兄に全幅の信頼を置いています。兄を支えるため、織り以外の全行程を担い、二人三脚で新しいものづくりに挑戦中。従来の価値観にとわられず、時代にあわせて自分たちの織りを変化させることを厭わない兄弟は、絶えず「辻村さんらしさ」を更新し続けることに心血を注いでいます。

これからもずっと、辻村さんと一緒に仕事がしたい

辻村さんと新井兄弟、そして取材に同行して工場を見学させていただいた群言堂店舗スタッフ

群言堂は、こんな風に歴史と技術に想いを掛け合わせ、実直にものづくりを続ける辻村さんと、これからもずっと一緒に仕事をしていきたいと考えています。

藍の服を着続けるためには、手入れが必要です。けれど辻村さんが「手がかかるだけ愛着が増す」と言う通り、着続けるほどに色を変え風合いを増してゆく藍の服は、まるで思い出を織り込んで人生と一緒に育つよう。

辻村兄弟の人柄が伝わるような柔らかであたたかな服を、ぜひ一度店頭に、実際に見に来てくださいね。

書いた人

伊佐 知美
1986年、新潟県出身。「登美」ブランドで起用されている「マンガン絣」の産地・見附市が実家。これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』編集長・フォトグラファーとして、日本全国、世界中を旅しながら取材・執筆活動をしている。著書に『移住女子』(新潮社)。

撮影した人

タクロコマ(小松崎拓郎)
1991年生まれ、茨城県龍ヶ崎市出身の編集者/カメラマン。これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』編集部所属。

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