石見銀山 群言堂

第六話 食べ物との距離が変わる|南阿蘇の水に呼ばれて 植原正太郎

田舎に引っ越して「距離」が変わったことがたくさんある。例えば、都会との距離は遠くなって、自然との距離は近くなったり。

1年経ってじわじわとその変化が分かってきたのは「食べ物」との距離だ。南阿蘇村では多くの人がお米や野菜をつくっている。本業の農家さんだけではなく、たいていの地元の人は自宅の庭や畑で野菜を育てている。

僕たちも素人には大きいほどの畑をタダでお借りして野菜を収穫できている。

田舎は食べ物をつくる場所でもある。だから移住すると「食べ物」と「暮らし」の距離が自ずと近くなるのだ。

食べ物との距離が近くなって驚いたことがある。採れたての野菜はとても美味しい。ほんのちょっと前まで土と繋がっていた野菜は瑞々しくて、生命の「ハリ」を感じる。

生鮮スーパーに並ぶ野菜は、ものによっては物流の関係で収穫から2〜3日経過したものが並ぶそうだ。そうするとどうしても鮮度が落ちたり、水分量が減ってしまうことになる。

都会に暮らしていたときはそのような野菜しか手に入れることしかできなかったが、今では採れたての野菜をいただくことのほうが多くなった。産地や品種以上に鮮度が大事だと知った。

農家さんの畑にお邪魔することも。美味しく育てることの大変さも知る。

この春から始めた自家菜園は1年目ということもあり、育てたい野菜はなんでも植えている。

これまでは「収穫物」しか知らなかったものばかりなので、実際に育ててみると「そうやって育つんだ」と驚くことが多い。かぼちゃはどこまでも蔓と葉が伸びていくし、さつまいもの葉はわさわさ茂る。パクチーの花はとても綺麗だった。

野菜の花が咲くようになると、どこからともなくハチがやってきて蜜を集めながらせっせと受粉をしてくれる。畑にはたくさんの虫やカエルがいる。

「育てる」という行為はもっとも距離の近い体験かもしれない。近づくほどに見えるものも増え、驚きや発見の連続となる。

あのパクチーがこんなに可憐な花を咲かせるとは知らなかった。

いきなり真面目な話になるが。高度経済成長とともに日本人は田舎を離れ、都会に集まってきた。ヒト・モノ・コトが集約されることで経済は発展してきたし、年収も増え、多くの商品やサービスも生まれてきた。

しかし、その数十年は僕たちの暮らしと食べ物の距離がどんどん遠くなった時代でもあったのだと思う。

その結果、「魚は切り身のまま海を泳いでいる」と思っている子どもがいるという現代の笑い話が生まれる。

僕たちはあらゆる生き物と同様に、生きていくためには、食べ物は欠かすことはできない。それなのに時代が進むにつれて食べ物との距離は遠くなっている。不思議な話でもある。

田舎に暮らすことは、何か大切なことを取り戻すきっかけとなっている気がする。

こんなにどっさり野菜のおすそ分けをいただくこともある。どれほど贅沢なことか。


筆者プロフィール

植原 正太郎

うえはら・しょうたろう

1988年4月仙台生まれ。いかしあう社会のつくり方を発信するWEBマガジン「greenz.jp」を運営するNPOグリーンズで共同代表として健やかな経営と事業づくりに励んでます。2021年5月に家族で熊本県南阿蘇村に移住。暇さえあれば釣りがしたい二児の父。

WEBマガジン「greenz.jp」

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