石見銀山 群言堂

第一話 カメラを手にするまで|オザキマサキさんの根のある暮らし

 

皆さまはじめまして。
写真家のオザキマサキと申します。
日本一大きな湖・びわ湖のある、滋賀県北部・高島市を拠点に写真を撮っています。
好きな食べ物は手羽先。嫌いなものは黒板を爪でひっかく音。血液型はA型です。


生まれは広島県の呉市。
家を出て坂道を下りていくと、今も潜水艦が停泊している瀬戸内の港町です。
もの心つく前からカープファンとしての英才教育を受け、小学生~中学生までは虫や魚を捕ることに明け暮れて育ちました。

そして16歳になった時、何を思ったのか「オレは釣りで生きていく!」と決意し、読んでいた雑誌によく載っていた憧れの会社に「僕を働かせて下さい!」と、アポなしで突撃。
なんか変わったヤツが来たぞということで、そのまま入社させてもらいました。
社長、あの時は訳のわからない子供を受け入れてもらって、本当にありがとうございました!

晴れて働きはじめた会社は、小さいながらもアウトドアスポーツ関連の輸入や小売りなどのハード面から、会員制クラブの運営などのソフト面まで、幅広く手掛ける面白い会社でした。
僕は突撃した施設(びわ湖)にそのまま配属され、4月~11月までは水辺の仕事(会員制ヨット&ボートクラブの運営や宿泊業、飲食業)をし、12月~3月末までは信州の白馬で、雪山の仕事(スキー&スノーボード関連や宿泊業)をして過ごしました。


いろいろな経験をさせてもらいながら、「釣りで生きていく」という当初のビジョンは変化していき、「体験を提供する滞在型リゾートの展開をする」と思うようになっていました。
しかし働きはじめて9年が経ったある時、ふと「自分はこの会社の中のことしか知らない……」という、脅迫にも似た感覚が突然わいてきて、悩んだ末に10年目でお世話になった会社を辞めることにしたのです。
26歳になっていました。

すると、どういう訳かそのタイミングで、お客さんだった社長さんから「カナダのバンクーバーに、キングサーモンを釣るためだけの滞在型リゾートの島があるんだよ。ちょうど日本人スタッフを探していて、尾崎くんにピッタリやと思うんやけど、どう行ってみない?」と声をかけてもらったのです。
そのタイミングの良さと内容に驚きながら「はい!ぜひぜひ行きたいです!」と即答ました。
そして「たぶんOKだと思うんですが、一応嫁さんにも相談して、改めてちゃんとお返事させて下さい。」とお伝えし、急いで帰りました。
もともと社内結婚だったので、きっと嫁さんも喜んでくれるに違いないと思い、はやる気持ちを抑えながら相談すると、僕の予想に反して首をたてに振ってくれない嫁さん。何度話し合いをしても同じでした。


僕は困惑し、悩みに悩みぬいた末、死ぬほど挑戦したい気持ちを、強引にねじ伏せて、行かないという決断をしました。
今ならもっと柔軟に考えれたかもしれませんが、あの時の僕はまだ選択肢や経験が少なすぎました。
良かれと思ってしたその決断は、徐々にカタチを変えていき、最終的には「俺が我慢してやったのに」という、最も醜いものとなっていました。
僕がそんな恩着せがましい状態でいたら、当然夫婦関係がうまくいくはずもなく、2年後に離婚となりました。
結局、夢を失い、結婚も失敗した僕は、完全に終わってしまった……と、まさに失意のどん底でした。

そして離婚を機に、当時まだ村だった朽木という山里に移ることにしました。
心機一転、新しく歩み出そうとして、さまざまなことに挑戦しますが、どれもうまくいきません。
全くといっていいほど、やりたいことが見つからず、まるで光の届かない洞窟に、ひとり迷い込んでしまったかのようでした。
寝ても覚めても行き先を見つけようと考え続けるも、何も見つからない日々が6年も続き、精神的にギリギリの状態にまで追い込まれていました。
34歳になった春、山中をひとりで歩きながら「来年はもう35かぁ……」とボヤっと考えていた時、突然「もう無理……」という言葉が心の中で聞こえた気がしました。


ん?いま無理っていった?
微かな手掛かりを頼りに深く潜っていくと、今までそれが自分自身だと疑いもしてこなかった自分を、違うところから見ていました。
ということはあれは一体誰なのか?
それは初めての感覚でした。
自分だと思っていたその人は「男たるものこうあるべきだ」と頑なに決めていました。
たとえば起業したなら、どんどん大きくして何億と稼がないと成功したとはいえない、という具合に。
“諦める”という言葉の本当の意味は、“あきらかにみる”ということを後に知ったのですが、この時初めて自分を“あきらかにみる”ことができて、“諦める”ことができたのです。

自分で自分をガチガチに縛りつけてきた鎖が、一瞬にして崩れて消えていきました。
「これからは好きなことをやろう」そう思った僕の頭に最初に浮かんできたのが、ずっと我慢してきたカメラでした。
すぐにカメラを買いにいき、純粋な楽しみとして始めました。
それから12年、今こうして写真を仕事にしているなんて、その時は夢にも思っていませんでした。
そのおかげで群言堂さんともご縁を頂き、昨秋に本店で個展をさせていただきました。


そして、今こうして皆さんとのご縁をいただいています。
完全に終わってしまったと思った挫折も、6年もさまよい無駄な時間を過ごしてしまったと思った経験も、今につながり、無駄ではなかったんだなと、今なら思うことができます。


とまあそんな感じで、あちこち頭をぶつけ、いまだ生傷の絶えない46歳ではございますが(笑)、写真を通して見ているものや、考えていることなど、皆さんと共有できたらうれしく思います。
どうぞよろしくお願い致します。

 


筆者プロフィール

オザキ マサキ

1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com

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