石見銀山 群言堂

鋳物づくりを通して辿り着いた"気持ち良いかたち"とは<ジュエリー作家・nishikata chieko>|三浦編集長in山形

金属なのにどこか有機的で、木のある風景や天然素材の服によくなじむ。

そんな素敵なジュエリーをつくる方に、山形で出会った。

ジュエリー作家nishikata chiekoさん(以下:西方さん)のつくるジュエリーは、まるで生き物の化石や樹木のようである。

見ていてどこか気持ちの良い不思議なアクセサリーは、どのようにして生まれているのだろう?

西方さんのご自宅兼アトリエにお邪魔してお話を聞いた。

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nishikata chieko
本名:西方智衣子(にしかた・ちえこ)
1985年山形県生まれ、山形県在住。
2013年よりnishikata chiekoとして活動をはじめる。
この世界に溢れる美しさ、目にとめた感覚をジュエリーという形で表現している。
http://nishikatachieko.com/

広々とした一軒家の一室を贅沢に使ったアトリエ。いくつかの作業台の上にはジュエリー制作に使う道具が整然と並んでいた。

西方さんはこの場所で暮らしながら、日々制作に励んでいる。

ジュエリーづくりは独学だという。

今でこそジュエリーをつくっているが、学生時代、秋田公立美術工芸短期大学(現・秋田公立美術大学)で学んだのは鋳金だった。

鋳物の花器

山形県の海側に位置する鶴岡で生まれた西方さんは高校卒業後、秋田の美術短大に進学して鋳物の技術を学んだ。

「型を作って金属を溶かして流し込む手法を勉強して、卒業後も教務補助として学校にいました。その時から金属を焼いて模様を出すということはやっていたので、それが今のジュエリーづくりにも生きていますね。」

その後大学を出て、秋田で3年ほど事務系のOLとして働いた。

友人とアトリエをシェアしてものづくりを続けていた当時、知り合いのセレクトショップオーナーから「この模様を身につけたい」と言われたことがあった。その一言が、ジュエリーづくりの原点となった。

「身につけるにはどうしようと思って、金属のプレートに同じやり方で模様を作ってみました。それが上手くいってその方にも喜んでもらえて。これは自分も身につけられるしいいなと思ってつくり始めました。」

その後、地元鶴岡を経て3年前に山形に引っ越した。山形でもアルバイトをしながらの制作だったが、昨年ごろからようやく専業でできるようになってきた。

「素材は最初、真鍮から入りました。やっぱり鋳物が入り口なので、銅系の素材の扱いに慣れていたからですね。

真鍮を焼くとこういう表情になるんだって面白くなって、じゃあ銅は?洋白(銅と亜鉛とニッケルの合金)は?と増えていきました。段々もっと違う表現方法をしたくなって、去年からはシルバーも増やしました。」

2018年の新作シリーズ『泡と夢』

もともと模様を焼き付ける技法自体が好きで、それが楽しくてやっていたところもあるという。たとえ制作に追われている時でも、バーナーの火を見れば気持ちがリセットされ、純粋につくることを楽しめる。

「形はとにかく気持ち良い形を目指して作っています。」

スケッチから図面を描いて、型をつくる。何枚も何枚も、ちょっとずつ線を変えて。目で見て気持ちが良い形、自分にとってベストなラインを絞って仕上げているという。

短大で鋳物を学んでいる時、図面を何度も描いてきた。教授に「ここが気持ち悪いから」と言われて描き直しながら、気持ち良さ、気持ち悪さの基準を叩きこまれたことが西方さんのものづくりの根っこにある。

スケッチを描いたノート。日記のように、「こういう形」というイメージやその時に何を思っていたかなど言葉を書き込んでいる

そういった感覚を大切にしてできた形があのジュエリーなのだと思うと、ものすごく納得がいく。

真っ直ぐでもない、まん丸でもない、どこかいびつでもあるそれらの形は、身につけると不思議なくらい、服や風景に良くなじむ。それも、画一的でない、不揃いなテクスチャのものほど相性がいい。

西方さんがつくるのは、一人ひとり違う個性に寄り添ってくれるような、やさしさのあるジュエリーだと思う。もし出会う機会があったら、ぜひ一度身につけてみてほしい。

あなたにとって気持ちの良い形が、もしかしたら見つかるかもしれない。

<写真:鈴木良拓・三浦、文:三浦>


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