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梶山正「京都大原で暮らす」|第二十話 目が悪くなった妻に手を差し出す

植物や庭、家などの絵を描くのが好きなベニシア

たしか3年ほど前からのことと思う。妻のベニシアは「目があまり見えない」と、よく口にするようになった。

それまで室内は暗い間接照明にしていたが、コンビニ店内のような明るい照明に変えてみた。それでもまだ見えないと言う。

いろんなメガネもよく注文している。どこかへメガネをしばしば置き忘れるので、また買わなければならないからだ。

絵を描きながら、ガーデニングや暮らしのアイディアが駆け巡る

そんなある日、ベニシアは眼科で白内障と診断された。手術を受けてみたが、それでも「あまり変わらない」と言う。

友人に薦められた別の眼科へ足を運んでみた。検査した医者は「目はきれいですよ。眼球には何の問題もありません。でも一応、大学病院で本格的な検査を受けることを薦めます」と。

去年の夏にベニシアは1週間ほど大学病院に入院して検査を受けた。「見えない」という問題は、視神経の障害と診断された。

多くの人は、年齢を重ねるにつれ若い頃のようにいつも元気というわけにはいかなくなる。からだだけでなく、脳も年をとる。

若い頃の僕は、人間は年齢を重ねるにつれ、悟りの世界に足を踏み入れて、仙人のようになるのだろうと思っていた。そうなれば悩みは無くなり、きっと楽に生きていけるはずなのに…。

モッコウバラが咲く5月の庭。桶に溜めた雨水は、庭の植物の飲み水になる

検査を終えて退院したベニシアは落ち込んでいた。「目が見えないと好きな本が読めないし、絵も描けない。ガーデニングだってできない」と。

僕ははっきりと口には出さなかったが、(前を向いて生きて欲しい!世の中には、まったく見えず、聞こえない人もいるが、前を向いて生きているじゃないか!)と心の中でエールを送った。

2〜3ヶ月ほどベニシアは沈み込んでいただろうか。一緒に暮らしている僕もその影響を受け、なんだか重い日々が続いた。

そんなある日、なにげなく見ていたTV番組から力を貰った。『人体 神秘の巨大ネットワーク』という番組だ。ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中教授とタモリが司会するNHKスペシャル番組で数回に分けて放映された。

{今までは、医学界でも人体と言えば、「脳が全体の司令塔となり、他の臓器はそれに従う」というものだったのですが、最新科学は、その常識を覆しました。なんと、「体中の臓器が互いに直接情報をやりとりすることで、私たちの体は成り立っている」。この新しい潮流は、医学界にとってすごく大きな転換ですし、臓器同士の会話を知ることができれば、一気に新しい治療法の研究が進むんですよ。}(NHKのホームページより抜粋)。

人間の脳に1000億ほどある神経細胞は「おとなの脳では、新たな神経細胞は決して生まれない」というのがこれまでの定説だった。

ところが、脳内の海馬という場所で新たな細胞が生まれている事実が見つかったそうだ。今からわずか20年前のことだという。

庭のモミジの木にからませたクレマチスが、大きな花を咲かせた

医学の新しい発見や流れを番組で見て、人体の無限とも言える可能性を感じた。

また、最近読んだ本で、イタリアの植物生理学者ステファノ・マンクーゾが書いた『植物は<未来>を知っている』も興味深かった。

植物は動物が持つ脳のような制御センターを持たず、互いの細胞同士が協力し合う分散構造をそなえ、動物とはまったく違う進化の道を歩んだ。

この植物の生き方や考え方に目を向けると、これまで人間が気付かなかった新たなものが見えてくるのではないかとマンクーゾ氏は語る。

デルフィニウムやジギタリスが咲く5月の庭

『人体 神秘の巨大ネットワーク』で伝えられた「体中の臓器が互いに直接情報をやりとりする」という伝達構造は、脳という指令塔がない植物の伝達構造に似ているのではなかろうか。

超能力とまでは言わないが、視神経が衰えたら別の回路を開いて生きていこう。

「頑張るぞ!」と言いながらベニシアは元気さを回復し、近頃は庭でガーデニングする時間も多い。

とはいえ、一緒にスーパーへ買い物に行くときや散歩するときなど「目が見えにくいから、手を繋ぐとか腕を組んでゆっくり歩いて欲しい」と言う。

愛情を持って細かに気を使い、それを彼女にちゃんとやってあげることが大切なのだと思う。




筆者 梶山正プロフィール

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かじやま・ただし

1959年生まれ。京都大原在住の写真家、フォトライター。妻はイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミス。主に山岳や自然に関する記事を雑誌や書籍に発表している。著書に「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物(家の光協会)」山と高原地図「京都北山」など。山岳雑誌「岳人」に好評連載中。

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