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『大河内瑞』の場合|三浦類の職場放浪記④

三浦類の職場放浪記|『大河内瑞』の場合

取材相手との信頼関係をぶち壊す暴露記事でおなじみの職場放浪記。今回は前号に引き続き他郷阿部家より、「おかみ見習い」大河内瑞(おおこうち・みづ)さんにお話を聞いた。こぼれ落ちそうなまん丸の目と男前な発言がチャーミングな瑞さん。前職で思い悩んだ末に縁あって大森に移住し、今人生の過渡期を迎えているという。

瑞さんは1986年3月7日生まれ。東京・多摩ニュータウンの団地で育った。幼い頃はあまりしゃべる方ではなく、大人に媚びることもなく、家の中で絵を描くのが好きなおとなしい子供だった。

小学校時代は勉強好きで成績もよく、勧められるままに進学校の中高一貫女子高に入学。しかし周りが勉強も運動も自分よりできるすごい人ばかりで、最初はなかなか馴染むことができなかった。

美術が好きだったので、美術の時間だけは自分の存在を示すことができて心が解放される気がした。やがて所属していた軽音同好会と剣道部で友人に恵まれ、楽しい中高時代を過ごせた。

進路選択の時には美術がやりたいと、武蔵野美大の油絵学科に進学する。好きだった絵を描くことに専念するのかと思いきや、サークル活動に没頭し油絵はそっちのけになった。

サークルは「アトリエちびくろ」といって、学生が地域の子どもたち100人くらいとものづくりや身体を動かす活動をする、創立40年以上の歴史ある団体だ。

毎年夏休みには茨城の廃校で2週間のキャンプを行い、学生も子供も関係なく人と人が生身でぶつかり合うのが楽しくて仕方がなかった。いい教授ともたくさん出会うことができ、充実した学生生活を送ることができた。

あまりにもサークル活動を楽しみ過ぎ、4年生の9月ごろになって初めて「やべえ、働かないとお金もらえねえわ」と気付きあわてて就職活動を始めた。

経営者の想いに共感し、新宿にある農業の生産・加工・流通などを行う会社が経営するレストランに就職が決まった。

すごく厳しいけれど愛情のある経営者のもとで新卒から5年間、店長になるまでがむしゃらに働いた。

しかし多忙な仕事を回すスタッフを守ろうと、自分のことを後回しにする働き方を続けたせいで少しずつ自分を追いつめてしまい、気付いた時には病気になっていた。

当時その様子を見た親友に病院に行くよう勧められ、何度か通った後にうつ病と診断された。「まさか自分が」と驚いた。

それから半年間は動くことができず、結局誰も守ることができないまま仕事を辞めることになり、申し訳なさと後悔が残った。

ただ、いい先生に巡り合え、時間はかかったもののちゃんと病気と向き合いながら無投薬で治療をすることができた。

次の就職は上手くいかないだろうと思っていたが、嘘のようにあっさりと決まった。

きっかけはいつだったか参加した、島根県隠岐郡海士町で高校魅力化プロジェクトを手掛ける岩本悠さんの講演だった。

そこで海士町のことを知り、興味を持って調べたら今度は海士町で起業した株式会社巡の環の代表、阿部裕志さんのことを知った。

そして阿部さんがお気に入りの宿として紹介していた他郷阿部家に心を惹かれ、友人との旅行で出雲大社に行くついでに阿部家に宿泊したのだった。

家主の登美さんとの会話の中で無職だと言うと、登美さんは何も聞かずに、「それならうちで働かない?」と誘ったのだった。

それから大森に来て一年半が経つ。阿部家での仕事はお客様のお出迎えからお部屋や食事の準備、事務仕事まで多岐に渡る。忙しくはあるが、想いを同じくする同世代の仲間達と一緒に働けることが心強く、お客様との出会いやいただく励ましに元気をもらえる素晴らしい環境だ。

今、新たな壁にぶつかっている。

当初勢いに任せて何がしたいかも分からないまま移住したが、毎日の忙しさの中で振り返ることもせず、どうにか仕事をこなせているつもりになっていた。

しかしある日、掃除が行き届いていないと登美さんに叱られた際に「あなたは一見分かった風に見えるけれど、行動で裏切られることがある。あなたの言葉には真実味がない」と厳しく指摘され、仕事も暮らしも自分事になっていなかったと自覚させられた。

自分のことを後回しにして、誰も守れなかった前職での失敗を思い出した。登美さんは言った。「あなたはやさしい。けれど、やさしい人ほど強くならないと結局誰も守れない。まずは自分の人生を真剣に生きなさい」。

以前、山形の有名レストラン、アル・ケッチァーノの北海道・トマムでの出張レストランに研修に行かせてもらったことがある。その時に奥田政行シェフと二人で行った買い出しの道中言われた言葉が登美さんの言葉と重なった。

「あなたが弱いと思っている部分はあなたの最大の長所だよ。あなたは人を不快にさせない。それは人の心が見えすぎる第三の目を持っているから。僕もそう。それは特別なことだから、捨てずに育てていかないといけない」。

大森での経験をもっと積んで、自分の言葉で語れることを増やしていきたいと思う今が、自分が変わる瞬間、過渡期だと思う。

前職での後悔をずっと引きずっていたが、辞めていなかったら島根に来ることも自分の人生を考え直すこともなかったであろうことを考えると、あの時限界まで頑張った自分をある意味で肯定できると思う。

たくさん迷ってきたからこそ、人の心に寄り添うことができるかもしれない。授かった第三の目を、この地でもっと生かしていきたい。




<おわり>

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書き手:広報課 三浦

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