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古い家に手を入れていく

阿部家の食卓を囲むテーブルとイス。テーブルは小学校で使われた階段の腰板でできている。

わたしたちにとって阿部家は、この町で六軒目の古民家再生。
修復をしながら、わたしたち夫婦が強く思うようになったのは、「世の中が捨てたものを捨おう」ということでした。
都会では経済性や効率性が優先されますが、
わたしたちはあえて非効率なことやものを大切にしようと考えました。
武家屋敷の風格を残しているとはいえ、30年の間放置されていた阿部家もある意味で
時代に取り残されてしまっていたといえるでしょう。
しかしそれこそが田舎の価値になるんだ、という確信のようなものを持ったのでした。

阿部家の柱。傷んでいるところを新しくしながら再生していった。

玄関のアプローチも瓦工場の廃材を敷き詰めてつくった。

捨てられたものを捨う理由の一つには、お金がないということがあります。
たとえば、お金があれば最新型の薪ストーブを買えたかもしれません。
でもそれができないから、地元の小学校で値わなくなっただるまストーブをもらってきて設置しました。
手入れすれば十分に使えます。テーブルだってお金を出せば、よい材質のしゃれたものが買えるでしょう。
でもそれができないし、そうしたくないから廃材でつくります。
 いまは、お金さえ出せば、世界中のよいものがインターネットで手に入る便利な時代です。
しかしわたしは、こうやって古いものを拾ってきたり、
修理して使ったりすることのほうが、何倍もすてきだと思うのです。
また、お金がないということは、修復工事も少しずつしか進みません。
本当は早く直したいのですが、一部屋終わったらまた一部屋というペースです。
でも、一気にできないから、次のイメージをじっくりふくらませ、中身を充実させていくことができる。
お金がないということはわたしたちにとってラッキーなことだったのです。

土壁を作るためのベースとなる竹を編んでいく職人の方。

大吉さんは、とくに建築を学んだわけではないのに、拾いものを集め、
暮らしに溶け込むような居心地のよい空間をつくっていったので、
できあがるたびに新しい感動を得ることができました。
決してお金がふんだんにあったわけでもないのに、
なぜこれほど突き動されるようにして古民家の再生を続けてきたのか、
実をいうといまでもよくわかりません。
ただわたしは、いつも古い家から聞こえてくる声のようなものを感じていました。
 家というのは、お金にものをいわせて買う人もいるでしょうし、
何もかも新しくなければ気がすまないという人もいるでしょう。
こんなふうにボロボロの古い家を買うことを躊躇する人もいるかもしれません。
でも、わたしは思います。ご大切なのは縁なのだ、と。
 こちらが家をほしいと思うと同時に、家もこちらを選んでくれる。
そんな相思相愛のような間柄にならないと、最終的にはよい結果を生まないと思うのです。
不思議な力に導かれるように、阿部家を購入することになりましたが、
ご縁を感じた家だからこそ、なんとかお金を工面し、時間をかけて修復を続けてきました。
現在まだ修復は続いていますが、家が再生されていくのと同時に
わたし自身も再生されてきたような気がしています。

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