わたしたちの歩みとともに、多くの出会いを作ってきた茅葺きの家「鄙舎」。

移築から20年を迎えた本年、クラウドファンディングを通して
多くの温かなご支援を受け、屋根の全面的な葺き替えを行われました。
その葺き替えを記念した本写真展では、4月29日(土)〜8月15日(火)、
群言堂 石見銀山本店を会場に、これまで鄙舎と共に過ごした日々を、当時の写真を通して振り返りました。

展示にあたり、資料提供にご協力いただいた方々、ご来場していただいたお客様に心から感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。

ここでは約3ヶ月半に渡り、展示された会場の一部をご紹介致します。

家の移築を募る中国新聞の記事と移築前の「鄙舎」の姿。

導入部として展示した、大きな2枚のパネル。
拡大された新聞記事と古い茅葺きの写真です。

今では、群言堂本社のシンボルとして大森町の風景に馴染む、茅葺きの家ですが
もともとは広島県世羅郡甲山町(現・世羅町)にある豪農屋敷でした。

当時、立て替えのため取り壊される寸膳だった茅葺きの家、
歴史的建物としての評価もあり、町としては保存したい、けれども費用がない。

それでもどうにか残せないかと新聞に掲載された引き取り手を探す記事を
大吉と登美が偶然目にしたのが、この家との出合いでした。

石見銀山生活文化研究所 会長 松場大吉 と 所長 松場登美

移築時の茅葺作業の様子

多くの人が集う場でありたいという願いを込めて、人が集まる建物という意味をもつ「舎」の字を使い、
この茅葺き屋根の家を「鄙舎(ひなや)」と名付けられた茅葺きの家。

会場では、多くの人が集い、多くの出会いを作ってきた鄙舎の歴史を9つのテーマ分け、展示しました。


1.「ひなのひな祭り」

「田舎に暮らす女性の意識を高め、より豊かな暮らしを考える」をテーマに開催したシンポジウム「鄙のひなまつり」。
都会にこそ豊かさがあると信じられてきた時代に、足もとの宝や、田舎に暮らすことの価値に改めて気付くきっかけになればと、
10年間続けられました。

シンポジウムが終わった後の宴は、鄙舎と特設会場での宴会が繰り広げられます。
この日ばかりは会場設営から食事の準備、接待係まで、すべて男性がエプロン姿で担当しました。


2.「結婚式」

その昔、日本では冠婚葬祭を自宅で執り行っていました。

かつて、人生は家とともにあったのです。
こんな幸せ満開の1日も、鄙舎は見守ってくれました。


3.「ワークショップ」

茅葺き屋根の下で、藍染めや針仕事など多くのワークショップを開催してきました。

大変さと喜びを味わいながら一生懸命つくったものたちは、日々の暮らしを美しく彩ってくれます。


4.「コンサート」

障子もふすまも開け放して、空に向かって

こどもたちの笑い声が響く日は、鄙舎も一緒に喜んでいるように感じます。

様々に開催したコンサートの中でも、石見銀山の初代奉行である大久保長安と縁深い、大鼓の大倉正之助さん、
笛の雲龍さんが演奏されたときも格別の趣でした。


5.「アート」

しんしんと雪が降り積もり、銀世界につつまれる山陰の冬。

空は曇り、風は冷たく、大森町はすっぽりと静けさの幕に覆われます。
そんな寂しい冬にも、彫刻家・吉田正純さんの鉄のオブジェたちはすっくとそこに立っているのです。

「自然はさびしい。しかし、人の手が加わると温かくなる。」
民俗学者・宮本常一さんの言葉です。
この風景を美しいと感じ、なんだか懐かしい気持ちにさせるのは、
このオブジェたちの仕業なのでしょう。


6.「お昼ごはん」

お昼の鐘が鳴ると、本社の社屋から続々とスタッフが集まってきます。

夏は、縁側で気持ちの良い風を感じながら、
冬は、こたつで温まりながらいただくお昼ごはん。

鄙舎でお昼ごはんを食べることは、スタッフにとっては日常的なことですが、
ほんとうに贅沢なことだなぁとつくづく思います。


7.「We are here !」

大森町は今や人口397人。

「小さな町だからこそできる素敵なことをしてみたい」
そんな考えから、始まった大森町民の集合写真でつくる「元気カレンダー」。
町民が、ひとつのフレームに納まることができるのは、町民ひとりひとりの顔が見える規模の大森町だからこそ。

小さかった子どもが大きく成長し、親となって子どもと写真に写る…。
毎年撮るこの写真が、この町に暮らす人の歴史を綴る大事な1枚となっています。




8.「シンポジウム」

鄙舍はこれまで多くのディスカッションの場としても利用されてきました。

5年前に行われた島根県主催の勉強会。
また、3年前、「他郷阿部家」にお泊りになった、ユネスコ教育局のスー•チャン•ヒョイさんとの出会いから、
ユネスコの「持続可能な発展のための教育」をテーマとした国際会議が大森町で開催されることになり、鄙舎も会場の一つとして使われました。

鄙舎という存在が、現代社会の課題に一つの方向性を示してくれた出来事でした。


9.「出前ちんどん」

毎年夏になると練習合宿にやって来る、立命館大学の多国籍音楽サークル「出前ちんどん」の学生さんたち。
出会いは17年前、登美が自転車旅行中の学生2人を自宅に泊めてあげたことがきっかけでした。

合宿最終日には、鄙舎の縁側で町内の方々も招いてのライブも開き、町中が賑やかな音であふれます。


「鄙舍 賑わい取り戻す」と題された新聞記事と全国各地から集まってくれた職人さんたち。

写真展の最後を飾ったのは
鄙舎移築を伝える新聞記事と茅葺き職人のみなさん。

21年前、広島県から移築した際は70代の職人さんが葺いていた屋根を、
今回は30代前後の職人さんたちが葺き替えをしてくれました。

独特な重みとおおらかさを持ち、どんな人も受け入れてくれる優しさ。
そんな鄙舍の姿は、まるでおかあさんのようです。

その存在から、美しい田舎の暮らしを教わり、育ててもらいました。
私たちの鄙舍が、これからも温かな時間の流れる場所でありますように。

ふと帰ってきたくなった時には、いつでも戻ってられる場所でありますように。

これからも鄙舍を守り、伝えていきたいと思います。

「あなたにとって“家”とは何ですか?」

期間中、写真展示に合わせ、来場者参加企画を同時開催。
葺き替え工事で屋根から下ろされた藁とカラフルな糸を使い、自由にお家を作り、"家”に対する想いを綴ってもらいました。

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