梶山正「京都大原で暮らす」|第十三話 国作りに一役買った、三瓶山に登る

三瓶高原の西の原より見る三瓶山の最高峰、男三瓶山

群言堂さんから写真撮影の仕事を依頼されて、石見銀山にある本店を訪ねたことが何度もある。

僕が住む京都から群言堂がある石見銀山まで車で約5時間。ちょっと車の運転に疲れてはいるが、大田市に入るといつも気になるものがあった。

「三瓶山まであと数km」の道路標識である。これから群言堂さんが作った服の撮影の仕事が始まるというのに、僕の心は「三瓶山に登ってみたい…」とはるか山の上に飛んでいくのであった。

火口の底にある室ノ内池より、子三瓶山を遠望

三瓶山に関して、奈良時代に書かれた出雲国風土記(いずものくにふどき 733年)にこんな話が書かれている。

むかし、むかし、八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノノミコト)という力の強い男の神様が、出来たばかりの出雲の国が狭いと嘆いておられた。それで、もっと大きく広げてやろうと考えていたところ、ミコトは海の向こうの新羅の国(朝鮮)に余った土地を見つけた。

ミコトは新羅へ出かけて、大きな鋤でそこを切り離して太い綱をかけた。一方、出雲の国の方には大きな杭を打ち込んだ。

それから、杭を軸にして「国来、国来(くにこ、くにこ)」と言いながら、ミコトは綱をたぐった。こうして新羅の一部は、出雲の国の沿岸に引き寄せられた。

これではまだ足りなかったので、そのあと2回も、別の土地をミコトは引き寄せた。このとき3回に渡って使われた杭は、佐比売山(さひめやま、現在の三瓶山のこと)になり、綱は稲佐の浜(いなさのはま)になったそうだ。

島根半島を引き寄せるのに、もう一つの杭になった伯耆大山

それでもまだ足りないと思ったミコトは、東に少し離れた別の土地にさらに大杭を打ち込み、今度は能登半島の余った土地を引き寄せた。

こうして4回にもわたり引き寄せられた土地が、現在の島根半島となった。また、その杭は伯耆大山、綱は弓ヶ浜になったと言われている。

東側の杭だった伯耆大山に、僕は何度か登ったことがある。山上からは島根半島とそれに弓状に連なる弓ヶ浜の様子が見て取れた。今度は西側の杭である三瓶山にもぜひ登ってみたいと思っていた。

ところが、なかなか訪れる機会がなく、何度も気になる三瓶山の道路標識を横目で見ながら、僕は石見銀山へ車を走らせていた。

室ノ内池のほとりで、リンドウが秋の陽を浴びていた

ある秋、ついに三瓶山を登る機会がやって来た。群言堂での仕事を終わらせると、そこで働くルイ君も引き込んで、一緒に登ることになった。

三瓶山は東西に長い島根県の中央に位置する火山の独立峰である。

三瓶山は男三瓶山(おさんべさん1126m)をはじめ、女三瓶山(めさんべさん957m)、子三瓶山(961m)、孫三瓶山(907m)、太平山(たいへいざん854m)、日影山(718m)の6つの峰が、室の内(むろのうち)と呼ばれる火口を囲むように連なる。

室ノ内の底には、静謐な室ノ内池がある。山の様子は写真を見ていただこう。三瓶山がいい山であることは、その後ルイ君が群言堂スタッフを誘って再度登りに行っていることが証となるだろう。

その日は空気が澄んでいなかったからなのか、残念ながら山頂から島根半島の姿は見えなかった。

三瓶山の周囲は道路が走り、四方から山に続く登山道を歩くと、山頂まで2時間とかからない。登れば感動は大きいが、時間がないなら三瓶高原から三瓶山の姿を見るだけでもいい。

そして山の南麓には、茶褐色の名湯が湧く三瓶温泉がある。どうぞ、お楽しみを!

二人でハート型になり、全身で愛を表現する糸トンボ







筆者 梶山正プロフィール

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かじやま・ただし

1959年生まれ。京都大原在住の写真家、フォトライター。妻はイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミス。主に山岳や自然に関する記事を雑誌や書籍に発表している。著書に「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物(家の光協会)」山と高原地図「京都北山」など。山岳雑誌「岳人」と住宅雑誌「チルチンびと」に好評連載中。

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